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山のアルバム バックナンバー 10



心に残った光景、季節の様子など、登山中のひとこまを載せています。
2015.3.30から2015.12.6.までのデータが保存してあります
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これ以降のデータは「山のアルバムBN11」に掲載しています。










 この景色が眺めたくてやってきた。
 今の体力ではとても下から登ってくることはできない。車の機動力に頼ることになる。
 今年の冬は例年より暖かいようだ。林道の路面も雪のあとすらなく、アイスバーンになっているところなど全く見受けられなかった。おかげで湯ノ沢峠まですんなりと来ることができた。
 登山道にも雪のあとはほとんど見られない。
 登山地図のコースタイムでは、湯ノ沢峠のから大蔵高丸までは30分となっている。平地を歩くだけでもストレスを感じる現状では、とてもその水準には及ばない。たとえななだらかな登りであっても、数歩歩いては息を整えるという、まるでエベレスト登山だ。
 そんな遅々たる歩みであっても、何十回も繰り返せばいつかは山頂に到達する。自分が嫌になり、あきらめてしまわない限りは……。
 湯ノ沢峠の駐車場から1時間あまりかかって山頂に到着。
 雲が多いながらも、風は少なく、見晴らしを楽しむことかできた。
 南には富士が裾野を広げている(写真下)。やはり、例年より雪は少ないようだ。西には甲府盆地を睥睨して南アルプスが横たわっている(写真上)。今では、どちらも完全に見る山に変わってしまった。
(15.12.6)











 入笠山は思い出深い山だ。
 最初は障害のある子供たちとの登山だった。富士見の集落で合宿をし、マナスル山荘までバスで行った。そこから登山道を登るのだが、なかには嫌がる子もいて、なだめたり励ましたりしながら、なんとか山頂まで到達した。学校行事ではなく、個人的な呼びかけで行ったものだ。今では考えられないことだ。
 その下見では路線バスで沢入りまで行き、そこから登山道を歩いた。当時はゴンドラなどなく、これが通常の登山ルートだった。
 雪で入笠山林道が閉鎖されているとき、沢入りまではチェーンを装着した車で行き、林道をシールを付けたスキーで登る。もちろん山頂までは行かない。ほんの遊びのつもりだったが、下りではアイスバーンになった雪面で怖い思いをしたこともある。
 雪といえば、スノーシューで山頂まで行ったこともある。帰りは、フカフカの雪面を飛び跳ねるようにして下った。雪に足をとられて転げまわったりもした。
 無事に帰った来られたから、今ではすべてが楽しい思い出だ。入笠山は思い出深い山だ。
 最初は障害のある子供たちとの登山だった。富士見の集落で合宿をし、マナスル山荘までバスで行った。そこから登山道を登るのだが、なかには嫌がる子もいて、なだめたり励ましたりしながら、なんとか山頂まで到達した。学校行事ではなく、個人的な呼びかけで行ったものだ。今では考えられないことだ。
 その下見では路線バスで沢入りまで行き、そこから登山道を歩いた。当時はゴンドラなどなく、これが通常の登山ルートだった。
 雪で入笠山林道が閉鎖されているとき、沢入りまではチェーンを装着した車で行き、林道をシールを付けたスキーで登る。もちろん山頂までは行かない。ほんの遊びのつもりだったが、下りではアイスバーンになった雪面で怖い思いをしたこともある。
 雪といえば、スノーシューで山頂まで行ったこともある。帰りは、フカフカの雪面を飛び跳ねるようにして下った。雪に足をとられて転げまわったりもした。 無事に帰った来られたから、今ではすべてが楽しい思い出だ。心肺機能が落ちてからは、入笠山にはいつも首切り清水(マナスル山荘より林道を1キロほど手前に戻った所。マナスル山荘まではここから少し下ることになる。入笠山林道のルート上ではいちばん高い位置になるようだ。)から尾根伝いに登る。普通の体力があれば、20分ぐらいで山頂に着く。今回自分のペースでは30分弱もかかってしまった。
 見なれた山頂からの眺めだったが、天候にも恵まれ、文句のつけようもないくらい素晴らしかった。八ヶ岳から奥秩父・富士山(写真上)、甲斐駒・千丈、雪をまとった中央アルプス、木曽御嶽、乗鞍、槍・穂高の山々が望める。こんな体力でこれほどの景観を得られるのは、ひとえに林道と車のお蔭だ。昔は林道や車を苦々しく思っていたのに、今はそれに助けられている。複雑な心境だ。
 時間の余裕があったので、入笠湿原(写真中)と大阿原湿原(写真下)にも移動してみる。 花の季節はとうに終わり、訪れる人はほとんどいない。
 入笠湿原では数人の作業員の方が草を刈っていた。人の手が入ることで湿原の自然を保ち、来季の花つきを良いものにしようとしているのだろうか。ご苦労さまである。人と自然の調和と破壊、一朝には結論を得られない問題である。
(15.11.6)




退








 山行をひかえて気が重くなるなどということは初めてだった。
 天候不順だった夏が終わり、10月になってやっと秋の青空が戻ってきた。
 青空を見ていてふと気づいた。
 かつては、こんな日に家にいたことはない。翌日が晴れだと知ると地図を引っ張り出して出かける山を選んでいた。山での行動食を買い揃え、必要なら友人に連絡して都合を調整しあっていた。
 雪山や長期の縦走の前日でも、不安や緊張感はあったが、出かけることを迷うことはなかった。未知への期待や新たな出会いの楽しみがそれに優っていた。
 今回は出かける直前まで迷っていた。
 山に行ったって息が切れて苦しいだけだし、後から来た登山者に追い抜かれることになる。登山者だけではない。子供や観光客にまで道を譲ることになる。だいいち、山に出かけなければならない理由や義務があるわけではない。
 それに体にいいわけはない。無事帰ってきたからといって成就感があるわけではない。疲れはいつまでも残り、行く前より体調が悪いことすらある。
 どう考えても、山には向かわないという結論に傾く。
 それでも、過去の自分に体を押されるようにして玄関を出てきた。いつか見た青い空や山草花、山の空気や鳥のさえずりが味わえるかもしれない。
 コースはロープウエーで高度を稼ぎ軽い登りで山頂に至ることができるルートを選定した。
 河口湖畔からロープウエーに乗りカチカチ山に至る。
 山頂駅には欧米人や中国人観光客がいっぱいだ。観光客のほとんどは富士山の展望を楽しんだり、売店をひやかしたりしている。英語や中国語を介さない自分にとっては関わりを持ちにくい。
 早々に三ッ峠に至るハイキングコース(府戸尾根)に足を踏み入れる。数人の欧米人が軽装で三ッ峠方面に向かっている。彼らを先に行かせて、ゆっくりと進む。
 天上山まではなだらかな登りで、ぼくの足でも20分もかからない。山頂は針葉樹が林立していて展望はあまり良くない。富士山方面のみ視界は開けている。 ここからは緩いくだりだ。広葉樹の明るい樹林が心を和ませてくれる(写真上)。過去の山歩きで見なれた秋の野草も、ところどころにひっそりと咲いている。何より空気が気持ちいい。自分が山の一部になっている錯覚にとらわれる。
 こんな時、来てよかったかとふと思える。でも調子に乗らずゆっくりと歩を進める。ちょっと早く歩くと、すぐに心臓が飛び跳ねる。背中には街中で歩く時よりは重いザックを担いでいるのだ。 林道を横切る。この直後に数頭の野生の猿に出くわす。そのうちの一頭と目が合ってしまい、危うく跳びかかられるところだった。そうでなくとも小さな心臓は、このハプニングでいっそう高鳴った。
 当初の予定では新倉山まで行き、下吉田の新倉富士浅間神社方面に下るつもりだった。だが、その新倉山がなかなか見つからない。新倉山方面への分岐を示す標識も見当たらない。三ッ峠へ至る尾根道は小さなピークを巻いているところもあるので、それらしき盛り上がりがあると登って確かめたが、無名のピークだった。そのたびに体力は消耗してしまう。
 さらに進む中で、何人ものハイカーに道を譲る。その全てが欧米人のカップルや家族だった。何人かには英語で道を尋ねられた。まるで示し合わせたように、彼らは英語で書かれた同じハイキングマップを手にしている。こちらも正確な自分の位置がつかめていないので、安易に教えられない。英語が不確かなことを理由にして「ソーリー」を繰り返した。
 先にも述べたが、彼らのほとんどは軽装だ。街中にいる連中と変わらない。足取りは軽いが、秋の山は寒暖の差も大きく、陽の落ちるのも早い。遭難などしたらどうなるのだろうか。ルート上には道標が少ない。しかも、外国語表示がされているものはほとんどないのだ。
 外国人観光客は富士山に集まるだけではない。富士を眺める山にもたくさん登っている。ガイドブックや地図も多いのだろう。それに比べて現地の標識等を含めた受け入れ態勢はほとんどない。富士山が世界遺産に選定されたこともあって、富士自体には手厚い受け入れ態勢が整えられているようだが、周辺部はあまりにもお粗末だ。外国人観光客の被害が出ないか、身の程知らずに心配になってしまった。
 閑話休題。自分のいる位置が特定できぬまま、少しずつ高度を上げながらさらに進むが、どうも変だと感じた。樹間から見える里の地形も、すでに下吉田方面を過ぎてしまっていることを示している。歩き始めてから2時間ほどたっていた。少なくとも、ルート上に霜山があるはずだったが、それすらもない。自分の疲労も強まっている。 ちょうど見晴らしのいい送電鉄塔があったので、そこでランチタイムにすることにした。ここからは富士や黒岳方面が望める(写真中)。一部三ッ峠山も見えている。
 この時点で手元の高度付腕時計は1400m前後になっている。カチカチ山が1100mぐらいだったから、すでに300mほど登ったことになる。手持ちの地図によると霜山が1301mだから、すでに霜山ははるか手前のはずだ。
 ゆっくり休んだ後は来た道を引き返す。もう登る余力はないからカチカチ山まで戻るのが順当だ。それでも新倉山や霜山が気になって、ルート上にあるピークを確かめながら戻る。
 途中に明確な分岐があったが、標識がないので安易には下れない。トラロープが下がっているピークもあったけれど、もし間違っていたら、登り返す余力はないからこれも見おくる。
 さらに戻ると、見通しのない小ピークに10人ほどの日本人の中高年の団体が昼食をとっている。「日本人の」と断ったが、三ッ峠方面に歩き出して初めて会った日本人だったのだ。 聞くと、ここが霜山のようで、確かに小さな標識が来木立にかけられている。ペン書きの小さな標識で、どうも個人の登山者が書けたもののようだ。信頼度には少し欠ける。そこから南方面の尾根に踏み跡がかる。これを下れば新倉山だとメンバーのひとりに教えられる。彼らもこの尾根を下るつもりらしい。
 新しいハイキングマップを見せてもらったが、確かに霜山から新倉山に至る赤線がひかれている。うまく降りられればラッキーと思い、その尾根を少し下ってみたが、踏み跡が怪しい。赤テープも見当たらない。不信をいだきすぐに引き返す。メンバーの方にその旨お話して、自分はロープウエーまで引き返すと伝える。彼らも再検討したようだ。
 林道を越え、天上山の登りにさしかかる。登り返すのはつらかったので、初めはまき道を使ったが、最後の登りは結局尾根ルートをたどることになる。一歩一歩がきつい。筋肉性の疲労ではなく、呼吸がつらいのだ。胸のあたりに違和感がある。これまでにも何度も感じた(想像の)エベレスト登山の苦しさ。2・3歩足を進めては立ち止まり、また歩き出すことの繰り返し。ここがエベレストならまだしも、1000mをわずかに越える天上山の緩い上り坂なのだ。自己嫌悪にも似た気分におちいる。 何とか天上山の山頂を越え、ロープウエーの駅に着いたのが2時半を回っていた。
 今回も悔恨の想いを抱きつつロープウエーを使って下山する(写真下)。
(15.10.7)



退






 友人と日光白根山に登る。久々の2000m級の山だが、ロープウエー発着のお気軽コースだ。
 心は躍るが、息は苦しい。ほとんど全ての後続者に道を譲りつつ、休みやすみ歩を進める。同行者にはとんだ迷惑だったかもしれない。
 樹林帯の涼やかな空気が心地よい(写真下)。メボソムシクイだろうか、かつて高山に登る途中の灌木体でよく聞いた鳥の鳴き声が懐かしい。
 一般登山者向けのコースタイムで往復5時間のコースだったが、3時間を過ぎても頂上は見えない。頂上まで500mという標識のところ登頂は断念(写真上)。これ以上歩いたら帰路に差し支える。それに疲労もだいぶ蓄積している。
 くやしい思いを口にすると、同行者はここまで来れたことを喜ぶべきだと言われる。確かに、失ったものを嘆くより、残された能力を大切にすべきなのはわかる。しかし、それを心から納得できる今の自分ではない。この先、回復できる体力ではないだろう。それを思えばできることをするしかないのだろうと頭ではわかるのだが……。
(15.7.31)







 今日はプライベートなことを書いてみる。
 ぼくは身体障害者手帳を持っている。内部障害(心臓機能障害)第1級の認定である。
 今から35年前心臓弁膜症になり、心臓手術を受け2つの人工弁を取り付けた。あわせてペースメーカーも入れた。
 手術直後は必要以上に慎重な生活態度を保っていたが、体調が安定してくると少しづつ活動の範囲を広げていくようになった。
 それでも山は無理だろうと思っていたし、興味もなかった。
 若いころ、年に2・3回ぐらいは山に登っていたことはある。だがほんの気まぐれ程度だ。
 山登りについて真剣に向き合い出したのは富士登山がきっかけである。
 初めての心臓手術の後、15年くらいたってからだ。
 そのころ、仕事で関わっていた子供の中に結核になった中学生がいた。
 治療が終わり無事退院してから数ヶ月後、訪ねてきてくれた彼が嬉しそうに言った。その夏、父親と富士山に登ってきたと。
 生まれてこのかた、ぼくは富士山に登ろうなど考えたことはなかった。
 しかしその時、胸の中に小さな灯がともったのだろう。
 富士山に登ってみようと思った。
 本気になって山に向かい始めたのはその時からだ。
 奥多摩の山で足慣らしをし、翌年の夏には富士登山を果たした。
 そのあとは北岳、奥穂高岳と、次に高い山、その次に高い山と登っていった。
 日帰り、小屋泊まり、テント山行、雪山と範囲も広がり、バリエーションルートにも興味を持った。
 10年以上山にはまっていた。
 しかし今から8年前、2つの人工弁のうちのひとつの動きが悪くなり、再び心不全をおこした。
 そして、再度の心臓手術でその弁を取り換えることになった。
 調子の悪い人工弁を付け替えたのだから、以前と同じように元気になれるものだと思っていた。
 だから山も止めることなど考えなかった。だが、体調が期待どおり回復することはなかった。
 このごろではむしろ悪化の傾向にすらある。
 「山のページ」を立ちあげたのが二度目の手術より6年前、今から14年前のことだ。
 二度目の手術の数年前から、歳のせいだけとはいえない体力の衰えに気づいていた。少しづつ人工弁の不調は始まっていたのだろう。
 それも考えあわせると、「山のページ」は体調の悪化とともに書き続けてきたことになる。
 快適に山を歩けていたときに「山のページ」を開いていれば、もっと違った内容のものができたのかもしれない。
 とはいえ、大きな心臓手術を受けた身であることを考えれば不平を言える筋合いではない。いっときはテントを担いで雪山山行もできるまでになったのだから。
 ピーク時は、週1回山に出かけるのは当たり前。もっと頻繁だったこともある。
 このごろでは、ひと月に1回、いや、それ以下であることも珍しくない。
 山を歩くことが苦痛であることが多い。登りで息が切れるだけでなく、平地の歩行でも負担を感じる。
 長い時間歩くと、すぐに疲労が蓄積してくるのがわかる。
 いわゆる心不全の状態なのだが、今のところ積極的な治療ができる対象ではないらしい。
 それでも山からしばらく離れていると、ふと出かけてみたい衝動にかられる。
 山の風、緑のにおい、小鳥のさえずり、踏みしめる土の柔らかさ、それらをまるごと感じていたい。
 なるべく短い距離、体への負担が少ないコースを選んでみるのだが、歩き始めるとまた痛さを思い知ることになる。
 だが、ぼくの生活から山をゼロにすることはできない。
 無理を承知でも、ときどきは登りたい。
 登るのが無理でも自然の中を歩きたい。
 スローペースでもいい、あゆみを進め、山の空気を味わいたい。
 全く山に行かなくなれば「山のページ」を維持していく意味はない。いっそ「山のページ」を止めようかとも思ったこともある。
 けれど、まだ山と関わっていきたいから、年数回の山行になっても書き続けたいから、サイトは残すことにした。
 その代わり、山にこだわらずいろいろ書き込むことができるサイトを立ち上げることにした。
 新しいサイトの名前は「風わたる」という。山だけではなく、街にも、心の中にも風が吹きわたる、そんな気持ちを込めた。
 「山のページ」と「風わたる」は少し重複することがあるかもしれないが、個人の趣味に属することなのでご容赦願おう。
 それに、ゲストはそんなに多くはないだろうし。
 プライベートなことなど書かなければよかったかなと思ういっぽう、少しすっきりした気持ちもある。
 隠していたわけではないが、ハンディーのあることで加算・減算された見方をされたくなかったのだ。
 いわく、「人工弁が入ってる身で……」とか「心臓が悪いくせに……」云々という具合だ。
 そんな心配をしてもらわなくても、いつかは本当に山に行けなくなる日も来るだろう。
 でも、それは誰にでも訪れること。
 その時は潔くあきらめよう。
(15.5.23)

















 黒川山の露岩からの見晴らし。横長の写真、上は国師ヶ岳から将監峠までの奥秩父連山。下は聖岳から北岳へ連なる南アルプス連峰。かつてはその全てテントをしょってを歩きとおした。
 左上は鶏冠山間からの大菩薩嶺。北尾根もはっきり見えている。昔はあそこも歩いたんだと思うと、隔世の感がある。
 今では、柳沢峠から横手山峠に至るブナの道(写真下)に心癒されつつも、少しの上り坂でエンストをおこしている。
(15.5.22)










 三歩前進、二歩後退ではないけれど、急登となると数歩歩んで立ち止まるというていたらく。
 それでも山頂のマドンナに会いに、今年も来ることができた。
 すべてはそれで良しとしよう。

  ハイカーの胸に残るや
  ヤマザクラ
  明日はその葉に道譲るとも

(15.4.24)













 ギフチョウ(岐阜蝶)を見に石砂山に行かないかとお誘いを受ける。低い山で蝶を見つけながら登るので、ゆっくりのほうがいいとのありがたい仰せだ。……だとすれば今のぼくにはぴったりの山だ。体調の悪いことをしつこいくらい伝えたうえで同行させてもらうことにした。
 ギフチョウは3月下旬から4月上旬にしか見られないという。ネットで見るとかなり珍しい種類の蝶のようだ。本当に見られるのか?と半信半疑になりながらも、ゆっくり登ることの正当性に力を得て登山道に踏み出す。
 登り始めて半ばに達した頃、同行の士に「ほらいた!」と声をかけられる。芽吹く寸前の樹林の斜面を、ひらひらと枯葉が舞うように上下しているものがある。ちょっと見にはこれといった特徴も見つけられない。思っていた以上に小さい、ただの灰色の物体だ。
 山頂でその実態に接することができた。雌雄のつがいか、2頭のギフチョウがじゃれあえように空中を乱舞している。めったに静止しないが、地面に降り立ったところをカメラに収めることができた(写真上)。
 白黒の白黒の縞模様に、裾のほうにわずかに見える印象的な原色の文様。なるほどこれがギフチョウか。これまで一度もお目にかかった記憶がない。
 下山途中で、幸運にももう一度アップでとらえることができた。杉林の中にできたスポットライトが当たったような陽だまりに羽を休めているギフチョウ(写真下)。
 ギフチョウもたくさん見ることができたが、カメラマンも山頂・山麓を問わず群れていた。
(15.3.30)


これ以前のデータは「山のアルバム バックナンバー9」に保存してあります。



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