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山のアルバム バックナンバー 6



心に残った光景、季節の様子など、登山中のひとこまを載せています。

2012.1.5から2012.12.25までのデータを保存してあります。




これ以降のデータは「山のアルバムBN.8」に掲載しています。





















 色夜叉のお宮ではないが、「ダイヤモンドに目がくらみ」、またまた出かけてみた。
 今度は日の出のそれ。本栖湖畔に朝駆けした。
 竜ヶ岳に登り、ダイヤモンド富士を待つ(写真上・左上)。クリスマス寒波とやらで、風を伴った冷気が痛い。
 7時40分を過ぎたころ、やっと太陽が山頂の右寄りから顔を見せる(同・右上)。光芒は次第に強くなり、カメラは直視に耐えられなくなる(同・右下、左下)。
 日没のダイヤモンドと違って余韻を味わう雰囲気はないが、富士山からの光と影が珍しげな光景を作っていた。
 写真下の左上から時計回りに、西湖を囲む富士北面の山塊・大室山に指しこむ朝日・本栖湖と釈迦ヶ岳・富士山裾にたなびく薄雲。
(12.12.25)







 そして翌日。 どうしてもダイヤモンド富士を拝みたくなり、地元で富士山の周りの雲の様子を確認してから車で出かける
 今回は日陰沢から直接高尾に取り付く。 山頂は相変わらずの人出だ。雲も少なく、「ダイヤモンド日和」と言ったところ。 写真撮影は昨日と同じもみじ台からにした。
 太陽が高いうちは光が強すぎてうまく映らない。山頂にかかる辺りからそれらしい絵になる。 太陽は山頂に落ちたかと思いきや、光源を残しつつ右斜面をわずかに滑り、そしてすぐに斜面に沈んだ(写真は、左上から時計回りに時系列になっています)。
 日の出の感動にもまさる、ドラマチックな日没のひと時だった。
(12.12.20)














 これまで一度も高尾山からの「ダイヤモンド富士」というものを見たことがなかった。
 人生も先が見えてきたことだし、このあたりで一度拝んでおくのも悪くないと思い、友人2人を誘って(結果的に総員4名になったが、)高尾に出かける。
 12時半集合だから、わが山行にしては思い切り遅い出発だ。
 小仏峠から城山に登り、一丁平を経て、もみじ台で日没を迎えることとした。
 それまで雲の中に隠れていた富士山(写真左上)が、一丁平でわずかに右斜面をのぞかせ、もみじ台では両斜面が見えたが……。頭に大きな雲がかかり山頂は見えない。
 いま太陽は頂上の上部(写真右上)、いま山頂にかかったところ(写真左下)などと勝手な想像をめくらせながら観測を続ける。
 結局クライマックスシーンには出会えずもみじ台をあとにしたが、皮肉なことに、高尾山山頂では雲が切れて富士山の頭が見えていた(写真左下)。
 まったく、山の天気と女心は思うに任せないものだ。
(12.12.19)















 西伊豆スカイラインの仁科峠に車を停めて、猫越岳を往復する。
 南の半島だからもう少し暖かいかと思っていたが、さに非ず。風は冷たい。地面は凍っているはで、眺望を楽しむゆとりもなかった。
 午後になってしまい雲も多くなり、猫越岳の展望台に着いたときは富士山山頂は雲に隠れていた(写真上)。 猫越岳山頂部の池は、当然のことながらしっかり凍結していた(写真中)。
 予定外だったが、翌々日、伊豆スカイラインにある巣雲山に登った。
 巣雲山。多摩に住む者としては、山名から鷹巣山と雲取山を連想し、その高さに匹敵するかと思いきや、標高は581m。駐車場から10分ぐらいで山頂に着くお手軽登山。しかし、その眺望は侮れない。 富士山が駿河湾と南アルプスを左に従え、右には箱根の山々から、遠くは丹沢山塊の大山まで控えている(写真下はその左半分)。
 番外とは言いながら、捨てがたい眺望なので掲載することにした。
(12.12.11・13)











 鳩ノ巣からとぼとぼと川苔山に登り、帰りは川乗橋に下りる。
 どんなに歩くのが遅くとも、このコースのハイライトは百尋の滝だ。
 周りに張り付いた飛沫は、はや凍る気配を見せているが、本流はまだまだ元気百倍。
 風もなく水が澄んだ川面には、「逆さ富士」ならぬ「逆さ百尋の滝」が、天に向かって逆流していた。
(12.12.9)








 物語山と御堂山をハシゴするつもりでやって来た。
 西上州の山には、小さなこぶのような岩を背負った山がお多い。
 ここにはメンベ岩、御堂山にはジイとバアがある。
 そもそも、妙義山がその代表格のようなものだ。
 物語山とは曰く意味ありげな名前だ。
 戦国武将の物語がその由来になっているようだが、山そのものの形状に絡むものではない。
 出だしから肌寒い気温だったが、稜線に出てから風花が舞いだした。
 妙義山はよく見えたが、浅間山は雲の中たった。
 展望は、山頂よりも西峰のほうがきく(写真)。
 下山時には一時的に吹雪のようになったが、下では青空も見られた。
 吹雪に恐れをなしたわけではないが、御堂山は今回は見送った。
(12.12.1)












 サルギ尾根を登って大岳山に至り、奥多摩に下りる。
 サルギ尾根を歩いたのはもう何年も前になる。その頃はいわゆるマイナールートの範疇に入るものだった。このごろでは登山地図にもルート図が掲載されており、登り口から展望台まで標識が設置されている。それでもルートは急登があるし、アップダウンもあり、通常の登山ルートに比べれば厳しい。
 展望台からの眺めはこのあたりでは随一。日の出山や大岳山と比べても遜色はない。
 西を除く三方面が開けている。関東平野から相模湾、上越方面の雪山まで見えている(上の写真では、拡大しないと見えないかもしれない)。
 大岳山は登山客で賑わっていた。周りの木立を伐採したのか、見晴らしが以前より良くなっている(写真下)。
 大岳山から西に向かうと、途端に登山者は極端に減少した。
(12.11.25)












 笹子の新中橋から標高差600mあまりを一気に登って、笹子雁ヶ腹摺山に到着。展望を楽しんだ後、さらにアップダウンを繰り返しながら米沢山・お坊山へと進む(写真下)。
 木立に阻まれたりしながらではあるが、登るにつれて見晴らしはよくなる。
 富士山・南アルプス(写真上)・八ヶ岳・北アルプスの一部など望める。
 天気は快晴・空気も澄みきっている。
 平日にも関わらず、わざわざ出かけてきたかいがあった。
(12.11.16)













 小菅側から牛の寝通りに登り、丸川峠・大菩薩峠を経て、大菩薩道を通って再び小菅側に下るコースを歩く。
 大菩薩嶺の稜線はすでに落葉しているが、小菅川を挟む斜面は紅葉真っ盛りだ。
稜線に至る最後の登りが、けっこうきつい。まだかまだかと思いつつ登る。何年か前に歩いたことがあるが、こんなに長かったかと感じる。体力の衰えはごまかせない。
 やっと石丸峠に至る。小菅側を見渡せば、今歩いてきた牛の寝通りが望める(写真上)。峠の上は、気持ちよい青空だ。
 熊沢山を登り、大菩薩峠に着く。賽の河原近くの見晴らしのいい高台まで行って、引き返す。
 下りは大菩薩道を使う。
 小菅に下りるにはフルコンバで道を分ける。途中の紅葉に足を止めてしまうこともしばしば(写真中)。
林道に出てから白糸の滝に立ち寄った(写真下)。初めて来たが、なかなか見応えがある。
(12.11.9)








 小菅側から牛の寝通りに登り、丸川峠・大菩薩峠を経て、大菩薩道を通って再び小菅側に下るコースを歩く。
 大菩薩嶺の稜線はすでに落葉しているが、小菅川を挟む斜面は紅葉真っ盛りだ。
 稜線に至る最後の登りが、けっこうきつい。まだかまだかと思いつつ登る。何年か前に歩いたことがあるが、こんなに長かったかと感じる。体力の衰えはごまかせない。
 やっと石丸峠に至る。小菅側を見渡せば、今歩いてきた牛の寝通りが望める(写真上)。峠の上は、気持ちよい青空だ。
 熊沢山を登り、大菩薩峠に着く。賽の河原近くの見晴らしのいい高台まで行って、引き返す。
 下りは大菩薩道を使う。
 小菅に下りるにはフルコンバで道を分ける。途中の紅葉に足を止めてしまうこともしばしば(写真中)。
林道に出てから白糸の滝に立ち寄った(写真下)。初めて来たが、なかなか見応え がある。
(12.11.9)












 昨年見た赤城山の荒山・鍋割山近辺の紅葉が見事だったので、今年も出かけてみた。
 残念ながら、すでに紅葉のピークは過ぎており、落葉している木のほうが多かった。
 天候も曇りがちで、風がなかったのがみつけもの。
 鍋割山からの眺望もスッキリとしたものではなかったが、かえってそれが幸いし、墨絵のような風景も見られた。
 写真は浅間山と、それを取り巻く群馬県側の山々。まるで浅間山の子供たちのように、高き山影に寄り添っているように見えた。
 よく見れば、鼻曲山や浅間隠し山も同定できるはず。
(12.10.30)










 登山初心者に、「奥多摩登山検定1級」を洒落で発行したことがある。
 雲取山に登れたということで授与した(ちなみに「2級」は鷹巣山登山)。

 膝と循環器の不具合を抱えて雲取山に登るのは少し不安があった。
 それでも、紅葉の季節と当日の天候に誘われて出かけた。
 けっして以前の様には歩けないが、何とか山頂までたどり着く。
 今の自分にとっては、洒落でなく奥多摩登山1級に合格した気分だ。
 天候は雲が出て予想通りにはならなかったが、1400m以上では紅葉が始まっていた。

 写真は三条ダルミ方面の落葉松の黄葉。
(12.10.26)











 日陰名栗峰と鷹巣山を歩く。
 日陰名栗では茅戸の原が秋の訪れを告げているようだった(写真上)。
 鷹巣山の斜面ではススキの原の向こうに色づいた木立が光っていた(写真下)。
(12.10.20)













 何年か前、まことに秋らしい風景にここ(雁ヶ腹摺山)で出会ったことがある。
 富士をバックに 筋雲が青空いっぱいにに広がっていた。
 そんな光景を期待して登ってきたのだが、上空は雲一つない晴天だった。
 代わりに、雲は雲海となって富士の裾を覆っていた(写真上)。
 これはこれで貴重なのだが、欲しかっものが手に入らなかったのは事実で、食い足りぬ気分で大樺ノ頭まで足を延ばすことにした。
 姥子山方面には行ったことがあるが、こちらは今回が初めてだった。
 樹間から大菩薩方面がチラチラ見える程度で風景には恵まれない。
 静かな山歩きができるのがメリットか?
 雁ヶ腹摺山の背中(写真下)を見ることができたのも収穫かもしれない。
(12.1016)









 東京南部は雨だった。
 北に向うにつれ、西に向かうにつれ、天候は好転してきた。
 初めは霧の中に隠れて全く見えなかった大菩薩嶺も次第に姿を現してきた。
 湯上りの肌のように、体に湯気をまとわせながら……。
(12.10.7)











 台風17号が関東地方を駆け抜けた。
 前夜の中秋の名月は拝めなかったが、未明の西の空には、まん丸の月が皓々と輝いていた。
 体力には自信がないが、気ばかりがせく。絶好の展望日和だ、山に登れと。

 車で日の出町に向かい、松尾から滝本に入る。
 膝と心臓に負担をかけぬよう、ゆっくり慎重に登る。
 登山地図のコースタイム以上の時間をかけて山頂に着く。
 日の出山は7月以来だ。
 カーンと晴れあがった空の下、期待通りの風景が広がっていた(写真上)。
 まだ8時台だというのに、日差しばかりがやけにきつい。

 写真下は養沢との分岐のあたりから見た丹沢方面。
 手前から奥に行くにしたがって青が薄くなり、空に引き継がれるさまが印象に残ったので、ついでながら掲載しました。
(12.10.1)










 根駒形岳までロープウエーで登り、大涌谷まで上山経由で歩く。
 下界は晴れていたが、駒が岳など高いところには雲がかかり、展望は得られない。
 駒が岳は完全に霧の中たった。
 それでも少し下がると霧は晴れたが、今度は樹林が邪魔して展望は無し。たとえ木々に囲まれてなくとも高温で湿り気を帯びた空気のため、遠望はきかなかったと思うが……。
 箱根の最高峰神山を登れば、後は大涌谷への下りのみだ。神山も樹木に囲まれていて見晴らしはよくない(トップページ参照)。
 硫黄のにおいが鼻につくようになると大涌谷は近い。
 枯れた樹木の向こうに広がる荒涼とした風景は、まさに「地獄谷」だ(写真上)。登山道はそのわきを下る。
 途中に警告板と警告灯(写真下)が設置してあった。
(12.8.29)

 補足 : 前回の御岳山も今回も、登りは登りはロープウエーを使った。膝に水がたまっていてなかなか良くならない。それでも山に行きたいものだから、少しでも楽をしようとそうしたのだが……。結果的には下りでひざに負担をかけることになってしまい、症状の悪化を招いた。調子が悪い時は、大人しくしているにしくは無いようだ。













 富士山北面の御庭から御中道を大澤崩れまで歩く。
 樹林帯や砂礫の原を行けば珍しい植物に出会える。見晴らしのいい場所では雲の向こうに南アルプスや八ヶ岳も望める。雲海は浜辺に打ち寄せる波のごとくであり、遠くの連山は遙か彼方に浮かぶ島のようにも見える(写真上)。御中道はまことにのどかな散歩道だ。
 ところが、大沢で周囲の様相は一変する。

 大沢崩れは山頂直下から始まって(写真中)、傷口を広げながら山麓に向かって走り下ってている。切り立った両岸はまるで断崖のようだ(写真下)。その角度は限りなく垂直に近い。
 ここに至るまでに滑沢・仏石流し・一番沢を渡るが、大沢と比べればかわいいものに思える。
 ここだけが周囲の世界を激しく拒絶する異界のようだ。
 中道はここから先は崩壊して通行不能になっている。

見てはならぬものを見てしまったかのような思いを抱いて、来た道を引き返した。
(12.8.10)










 何年ぶりになるのだろう、本当に久方ぶりの後立山連峰だった。
 手術や、その後の体調不安定もあって、この方面に来ることは久しくなかった。
 体調が完全に回復したわけではないが、機会を得て唐松岳に登ることになった。
 中腹までゴンドラやリフトで運んでくれる、ルートも厳しい登りはなくなだらかな尾根歩き、山頂には山小屋がある、そんな条件がハードルを低くしてくれた。

 1日目は霧に包まれていた周りの山々も、翌日の朝には姿を現した。
 五竜岳や鹿島槍ヶ岳、白馬三山(写真)などがほど近いところにそびえている。しかしそのどれもが雲の帽子をかぶっていて、なかなか山頂が拝めない。
 周辺の山々より一段低い唐松岳のみが山頂をさらしている。おかげて周囲を見渡せることをよしとしなければならない。

 この日、中学校集団登山で来ていた生徒たちの賑やかな声が山肌にこだましていた。
(12.7.24-25)








 三連休の中日、予報もまあまあだ。翌日は出かける予定がある。で、「近くてよい山」、日の出山に行くことにした。地の利を活かしての早朝登山だ。
 いつもは三ツ沢方面からのルートをとることが多いが、今回は初めて養沢方面から登る。
 途中に養沢鍾乳洞(現在閉鎖中)がある。石を重ねたり、丸太を渡したりの階段が多い。でも、かかる時間は三ツ沢方面からと大差ない。
 双方のルートは山頂近くの広い伐採地で出会う。養沢から登って来ると、ここで劇的に視界が開ける。山頂部に劣らぬ展望の良さだ。
 青空ものぞく空模様だったが、上空には西から雲の庇が張り出していて、朝焼けのような光がうっすらと広がっていた。(写真)。
(12.7.15)









 さすがに梅雨時、いつもよりは水量が豊富だ。
 梅雨の晴れ間をねらってやって来たが、山頂付近の展望はいまひとつだった。
 勇んで早々と来たのが逆に災いしたのか、雲がまだ完全に切れてなかったようだ。
 おかげで、昼にはもう自宅に戻っていた。
(12.7.10)










 鼻曲山、その名の通り山頂がピエロの鼻のように突き出ている。どこからでも見分けやすい山容だ。
 ここに来たのは3回目。それぞれ別のルートをたどった。
 最初は、軽井沢の長日向から屋根伝い直登するコース。
 2度目は、碓氷峠から一の字山・留夫山・金山などいくつかの山を越えて到達するルート(写真 : 鼻曲山から碓氷峠方面を望む)。
 そして今回は、二度上峠から氷妻山(ひづまやま)を経て山頂に至った。
 他に、国境平からのルートと霧積温泉からくるルートがある。
 ここは浅間山を望むベストポジションにあるのだが、なかなかその機会には恵まれない。
 今回も浅間は雲に半分以上隠れていた。
また来る機会があれば、残した別のコースをたどるのもいい。
(12.7.5)












 昨年4月、闘病中の友人を伴って大菩薩を訪れた。峠までがやっとだったが、友は喜んでいた。
 同じ年の9月、ひとりでここに来た。友人がが亡くなったことを知らされたのは、その2日後だった。

 今日もまたひとりで登った。梅雨の晴れ間ねらっていたので、人を誘う時間がなかった。
 登りは相変わらず息が乱れる。4月に歩いた時の友の苦しさを想いながら、ゆっくり足を出す。
 午前中の早い時間だったため、雷岩からは好展望が得られる(写真上)。
 空には、まるで秋のような雲が流れていた(写真下)。
(12.6.27)










 乗鞍(写真上)と中央アルプス(写真下)をハシゴしたわけでは……もちろんない。
車という機動力を活かして、入笠山と守屋山に登る。
 どちらも山頂近くまで行ける、山頂までは1時間とかからない、どちらも展望が良い等々と、共通点が多い。
 問題は天候だったが、これも梅雨の時季にしては展望が得られた。
 どちらの山からも同じ山景が拝めるのだか、角度と標高(入笠山1955m・守屋山1650m)、そして見る時間帯によって、見え方が微妙に違う。
 上は8時ころ、入笠山からの乗鞍岳。下は12時ころ、守屋山からの中央アルプス。
※従来、守屋山の西峰は周りの木立のため展望がきかなかったが、このたびの訪問時には樹木が切り払われており、見晴らしがよくなっていた。
(12.6.23)

姿








新道峠から黒岳まで歩く。
 初めは全く見えなかった富士山が、破風山あたりから頂上を覗かせてきた。
 しかしその後ほとんど好転することなく、黒岳の見晴らし台でも相変わらず(写真)。
 さらに時をおかず、頂上の姿も雲に没してしまった。
 入梅前の最後のチャンスとばかり押っ取り刀で駆けつけたのに、……あんまりだ。

   君影草
   姿は見えず白樺の林の奥に
   香りのみ充つ

※関連記事「山の花」
(12.6.7







 冠山に登ろうと、最短コースである泉水林道の新横手峠まで車を進めようとしたが、通行止め。しかたなく、柳沢峠から新横手峠まで歩くこととなった。
 ところがこのコース、目的地へのアプローチにとどまらぬ魅力を持っていた。
 ブナやダケカンバ、リョウブやオオヤマザクラなどの落葉広葉樹の森では、ウグイスやコマドリのさえずり新緑がわが身に染み込んでくるようだ。まだ目覚めたばかりの午前中の柔らかい光を浴びて、木の葉や草がが輝いている。キツツキのドラミングが聞こえてくる。
ずいぶん昔にも歩いたことがあるが、今回はその良さの再発見だった。 また秋にも来てみよう。そして、衣替えした森の美しさを堪能させてもらおう。
(12.6.4)










 唐松尾山の帰り、西御殿岩に登る。

 何年ぶりだろう、ここにやってきたのは……。
 足しげく通っていたのは秋と初冬が多かった気がする。
 せっかくの見晴らしを楽しみたかったから、空気の澄んでいる時をねらった。
 遠くの風景ばかりではない。
 秋には、牛王院平に広がる黄金色に染まった落葉松を眺めおろす楽しみもあった。

今、ここでは季節はまだ早春。落葉松の緑もまだ淡い。
(12.5.30)











 今年1月、登ろうとして果たせなかった雲取山に登る。
 あの時はとにかくきつく、七つ石山頂でそれ以上進むことを断念した。
 あれ以来雲取山はプチトラウマになっていた。
 薬(決してアブナイものではない……)のせいで体調が少し回復してきた。
 つれがいたので気分が紛れたということもあるかもしれない。
 それでも、念のため七つ石山は帰りにまわした。
 4時間以上かけ、何とか雲取山山頂に立つことができた。
 帰りに七つ石山に登ることができたのも僥倖だった。
七つ石山から見た雲取に向かう石尾根は、1月の寒々しい様子から一転し、柔らかな緑につつまれている。
 緑のじゅうたんはさらに山頂に向かって這い上がり続ける。
(12.5.24)











 6時半ごろ日の出山山頂に着く。すでに10人ぐらいの人たちが三脚を開いている。山頂に泊まった人もいたようだ。
 月に叢雲のたとえではないが(いや、ある意味ではまさに「月に……」だ。)、雲がわいてきた。それでも天気予報よりはるかにいい。
 さっそく遮光版を目に当てて太陽を眺める。
 「おおー」と思わず声を上げてしまう。右上がすでに三分の一ぐらい欠けている。こうなることは分かっていたものの、やはり感動だ。
 そのうち雲が厚くなって安い遮光版では光をとらえられなくなる。
 しかし怪我の功名と言おうか、裸眼でも欠けた太陽が見られるではないか。
 カメラでの撮影は初めから無理だとふんでいたが、こうなるとデジカメの出番だ。あわててシャッターを押しまくった。
 たが時々雲の隙間から直射日光がのぞく。今度は遮光版の出番だ。雲の成り行きに合わせて遮光版・デジカメを持ち替える。あわただしいことこの上ない。
 映像の記録としては、リングになった時にほどよく雲がかかってくれると有難い。
 ついにその瞬間が訪れたが、デジカメを向けるのは無理。遮光版での見学になった。良かったのか悪かったのか……。
 写真上は一番欠けた時にとらえた図。
リングになった時には、あたりが心なしか薄暗くなったようだ(写真下)。この時季・この時間(7時20分頃)の割には肌寒く感じた。風が無かったにもかかわらずだ。
 ピーク時、山頂には30人ぐらいの人がいたが、太陽が太り始めるとともに一人減り二人減りしていき、下山時には7、8人になっていた。
 祭りは終わってしまった。また明日から昨日と同じような日常が続く。
(12.5.21)









 吾野の駅からイモリ山・子の権現へ。いったん天目指峠に下り、高畑山・古御岳を経て伊豆ケ岳に登る。
 実は計画していたコースではなかった。前半は予定外だ。どうやら森坂峠に出るつもりが、分岐を間違えたらしい。
 全体の標高差は600mぐらいだが、アップダウンが壊れた心臓にはことのほかきつく、伊豆ケ岳に着いたときは限界だった。
 さすがに土曜日、昼前にもかかわらず山頂はハイカーでにぎわっていた。
(12.5.19)








 浅間尾根を登って鷹巣山に立つ。

 何年振りだろう、峰谷のバス停から歩き通したのは。
 バス停から奥の部落までは歩いて1時間もかからないのだが、時間の融通がきくのと少しばかりの楽をしたいがために、車を利用するのが当たり前になっていた。
 体調を崩して、なぜだか原点に立ち返って歩いてみようと思った。

 山が笑っている。
 春になったのだ。

(12.5.12)









 昨年は5月4日に満開の山桜に出会えた。そのための2度目の訪問だった。
 今年は暖かくなるのが遅かったので例年より開花も遅れるだろうと、他の山行を優先させたため8日に訪れたが、ご覧のとおり。周囲にある桜はまだ花を残していたが、シンボルともいうべき真ん中の山桜は完全に葉桜状態。
 山頂広場は薄いピンクに染まっていた。

  きみ去りし山路の果てに
  ひとり来て想いはつきず
  芝桜花

 棒ノ折山山頂にて。
(12.5.8)
※関連記事「山の花」












 山頂の光景が、そこからの展望が一変してしまった三ッドッケ(天目山)山頂(中峰)。
 以前は立木に囲まれて展望がほとんどきかなかった。今ははこのあたりでは随一の見晴らしを得ることができる。
 立木を伐採してしまった本人がいた。会ったのはこれで二度目だ。
 伐採した動機から、顛末までみずから語り続ける。たまたま会った登山者が展望のないことを嘆いていたのを聞き及び伐採を始めたのだということ、埼玉県と東京の管理事務所に罰金(立木代?)をそれぞれ10何万円とか20何万円とか払ってきたこと、等々。
 事の是非は問うまでもないだろう。動機がどうであろうと、罰金を払おうと、その行為が正当化されるものでもない。
 いっぽうで、でそのことによって展望の良さという恩恵を受けてしまう登山者がいることも事実だ。かく言う自分だってその一人だ。
 自然の保護、法律の順守、登山者のマナー、ここに来るたびに考えさせられてしまう。
(12.5.5)










 浅間峠から生藤山までのんびりと歩く。
 道すがら、山桜もそこここで行燈のように灯っている。
 軍刀利神社元社の桜もほぼ満開。
 フィナーレは三国峠と甘草水の桜だが、どちらも人で満杯だった。
 写真は軍刀利元社からのもの。

 富士に桜ではあまりにも通俗だが、富士を入れて撮りたい理由もあった。
 右肩下がりになりがちな自分のくせをいつもは自宅に戻ってから補正していたが、新たに購入したカメラではどうか試してみたかった。なんとコンパクトカメラにしては珍しく水準器がついている。
 出来栄えはどうだろうか。思想のバランスをとる気はないが、富士山だけは水平にしたかった。
(12.4.29)









 高柄山から富士山が望めると勘違いしていた。
 かなり昔見たような記憶があったのだが……。
 (事後に調べたことだが、山梨百名山には入っているもののここからは富士山は拝めないようだ。どうも高畑山と混同していたらしい。)
 富士の展望と春の芽吹きを求めてきたが、芽吹きはともかく富士は最初から空振りだった。
 何とか富士を拝めないものかと稜線沿いを西に進む。
 雪をかぶった南アルプスは梢越しに遠く望める場所はあったのだが、富士はなかなか現れない。
 アップダウンに嫌気がさしてきたころ、やっと矢平山の下りで頭だけのぞかせてくれた。
 今日に限って言えば、貴重な一枚だ。
(12.4.8)







 生川を挟んで正対する二つの山。後方が大持山、手前が焼山だ。
 焼山が標高850mなのに対し、大持山は1300mに迫る高さ。
 前者は稜線の上小ピークだが、後者は小持山を含めたいくつものピークを持つ。
 こうして並べると、何故だかこの小ピークに親近感を覚える。
 追い詰められたネズミが決死の威嚇を試みているようでもある。
 頭が剥げていて見晴らしがよく、山肌が無残に削られた瀕死の武甲山を間近に観察することもできる。
(12.3.26)








 鷹巣山はなにかあった時に登りたくなる山だ。
 いや、体や心に変化を感じた時に結果的に登ることが多かったということかもしれない。
 もちろんそんなとき以外にもよく足を向ける山でもあった。
 今回は、もしかしたら登れないのではないかという漠然とした不安を抱いていた。
 浅間尾根までの登りでこたえた体には、雪の積もった石尾根は白蛇がのた打ち回って待ち構えているように見えた。
 大蛇の凶暴さをかき立てないように、自分の心と体を抑制しながら慎重に登る。
 白蛇はなだめ賺されたのか。
 それとも、気づかれないほどゆっくりした歩みのせいか、どうやら今日も山頂に立つことはできた。
(12.3.19)








 4年前にもここに登っている。その日も足もとには雪があった。
 手術後、半年ほどしてからのこと。その時と体調に大きな変わりはない。
 喜ぶべきことではないが、こうして登れている以上、悲観することではないのだろう。
 雪と富士と青空。その時も同じように輝いていた。
(12.3.13)











 ファシズムの到来を予感させるかのように、一糸乱れず右を向いている霧氷。
 落葉した小枝にも、常緑広葉樹や針葉樹の葉にも、笹にまでも張り付いている。
 大岳と鋸山の間の稜線で数多く見かけた。北側からの冷たい風が発達させたのもだろう。
 北風がファシズムだとすれば、霧氷はむしろファシズムに抵抗するレジスタンスかもしれない。
(12.3.3)









 笹本稜平の『未踏峰』(祥伝社)という小説がある。同じ著者の「還るべき場所』(文芸春秋)というK2を舞台にした山岳小説を読んで感動し、他の山岳小説を読んでみたくなり手にとった。北八ヶ岳の「雨池ヒュッテ」という架空の山小屋が第一の舞台になっている。
 内容はともかく、雪を踏みしめるキュッキュッという乾いた音と、足もとに伝わる心地よい感触を読んでいて思い出した。
 今の自分には本格的な雪山は無理だが、北八ヶ岳、中でもロープウエーで坪庭まで上がれる北横岳なら可能だ。

 山頂駅では風もなく穏やかに晴れあがっていたが、北横岳に着いたときは雲もかかり、風も強くなっていた。否応なくハイライトは坪庭だった。
 坪庭は雪で覆われている(写真上)。散策路のみ踏み固められて歩きやすくなっている。なかには地上1メートル以上のところもある。
 雪と氷が造り出す珍しい光景があちこちでのぞめる(写真下)。しかしなによりも、小説を読んだ時によみがえった感覚を雪原歩きでトレースできたことが収穫だった。
(12.2.27)











 三頭滝を経由し、三頭沢づたいにムシカリ峠に出て三頭山に登る。
 昨日が今季2度目の寒気の底だったようで、三頭滝は雪をまとってほどよく凍結していた(写真上)。
 三頭沢の水流もほとんどが凍っており、そこここで氷の造形が見られた(写真下)。この沢は四季を通じて楽しめるところだ。
(12.2.20)










 笛吹峠から槇寄山まで笹尾根を一人で歩く。
 笹尾根は静かな山歩きが楽しめるルートとして紹介されている。特にこの時季は人気のないこと著しいはずだったが、対向してくる登山者は多かった。幸い同じ方向に進む人はいなかったので誰に干渉されることもなく、自分のペースで歩き通せた。
 ……と言っても、相変わらずの鈍足だ。このペースでなければ歩けないことにはやく自分を慣らさねばならない。
 南秋川沿いの道路や部落にはほとんど雪はないが、笹尾根(特に北斜面で)は雪道が続く(写真下)。
 ところどころで木の間越しに三頭山(写真右上)や御前山なとが望める。
 槇寄山山頂だけではなく、尾根上には南面が開けているところもあり、富士(写真左上)や丹沢が見渡せるところもある。そういう陽だまりは場所は登山者にとって格好の休憩所だ。
(12.2.12)















 グッドタイミングだった。
 今季最高の寒気が張り出した翌日、川乗谷に入る。もちろん百尋の滝の凍結を見るためだ。
 もしかしたら数日前の暖気で崩れてしまったのではないかという少しの不安と、前日の寒気でより凍結が進んでいるのではないかという大きな期待で、実際に目にするまではドキドキだった。
 川乗谷の右岸・左岸・右岸と渡り返し、最後の左岸を登りつめ、前方の斜面が切れ、見えてきた百尋の滝上部は見事に凍結していた。
 こんなに凍結しているのを見たのは、自分の記憶の中では初めてだ。上部がわずかに水しぶきを見せていたので、完全氷結とはいかないのかもしれないが、個人的にはこれで充分だった。
 写真下は川乗り谷で見かけた氷の造形。
ちなみに、今年は長野県・諏訪湖の御神渡りが四年ぶりに観測されたとか。例年になく寒い年にも楽しみはある。
(12.2.4)















 フィルムカメラの時代、限られたコマが惜しくてなかなかシャッターを切れず、結局シャッターチャンスを逃してしまうことがよくあった。相手は自然や動植物だ。待てば待つほど良い写真が撮れるとは限らない。
 今回もそんな結果になるかもしれないという恐れを抱きつつ、まだ上部までの凍結には至ってなさそうな百尋の滝見物を見送り、払沢の滝にねらいを定めた。
 浅間嶺は今週初めに降った雪がまだたっぷり残っていて、スノーハイクを楽しめる。
 山頂に立っている山座同定用の丸太もだいぶ年季が入ってきた。それでもファインダーの照準は合っている。
 しかしだ、大岳山に関しては問題ない(写真左)が、御前山はちょいと難あり。ファインダーの先のこずえが邪魔してピントが合わない(写真右)。時々はメンテナンスをしてくれると嬉しい。
 払沢の滝は氷結がかなり進んでいた。見た目はほぼ結氷しているように思えたが、これではまだ完全氷結とまでは言えないのだろうか……。
(12.1.29)
※桧原村観光協会が例年行っている氷瀑クイズですが、今年はやらないようです。かわりに写真コンテストになったとか。












 雪が降った。翌日は晴れ。出かけないてはない。だが、体力には自信がない。
車で出かけるにしても、チェーンをつけなくてはならないだろう。それも面倒……。
 そんな時にうってつけの山があった。
 から駅へのコースがとれる高水三山に出かける。
高水山に取り付いてしばらく行くと展望のきく地点があった。新たに伐採したらしい。都心方面が一望できる(写真上)。
 山麓から地平線に向かって白カビが発生したようになっている。白カビの下では様々なドラマが演じられていることだろう。その多くは呪いの言葉を伴なって。それほどに都心では雪は嫌われ者だ。
 岩茸石山の山頂には見事な風紋ができていた(写真下)。雪も粋な計らいを見せてくれている。
(12.1.24)









 陣馬山から高尾までゆっくり歩く。
気温は低かったはずなのに遠景は霞んで見えにくい。湿度が高くなってきたのか?
 陣馬山でははっきり見えていた富士も(写真左上)、明王峠(右上)、景信山(右下)と進むにつれて影が薄くなり、、一丁平ではついにその姿を消した(左下)。
(12.1.18)









 棒ノ折山に登る。
 前回のこともあるので、体調と相談しながら自分なりのペースで登りたかった。周りを意識しすぎる自分としては、あたりに他の登山者がいないほうがいい。そのためにも電車やバスを使わず、朝一で登山口に着くように車で出かける。
 だが思惑通りにはならず、銃を持った猟師グループが登山道を登っていた。しかたないので、立ち止まっているときに少し無理して追い抜く。連中はこちらのことなどより、獲物を仕留めることだけに意識を集中させていたはずだが……。
 山頂は乾燥しきっていて赤土が粉を吹いたようになっている。所々ひび割れさえもできている。もちろん霜柱など見当たらない。風がなくて良かった。土ぼこりで目も開けられなくなるだろう。
 山の草や木もカラカラに乾いている。こんな時、火でも出たら大変なことだ。山火事が起こらないことを祈るばかりだ。
(12.1.15)












 うかつだった。
 今まで何度も七つ石山に登っているのに、石尾根も数えきれないぐらい歩いているのに、その由来を考えたこともなかった。
 石が多い尾根なんだろう、ぐらいの想像はしていた。六つ石はボッカ訓練の名残の川原石がいくつも転がっていたのを記憶もし、無粋だと思いもしたが、七つ石に関しては何も思わず、見もしなかった。
どれだけ早く歩けるか、いかに身軽に坂を登れるかを意識していた時には、早く山頂に着き、次の山頂を目指すことに気を取られていた。
 しかし、今回はとりわけきつかった。何人もの人に追い抜かれた。登行は休み休み、何度引き返そうと思ったことか。苦しくて立ち止まるたび、悟られぬようにあたりを眺めるふりをする。
 七つ石山の山頂近くでは奇妙な大岩が並んでいるのを見かけた(写真上)。今までも網膜には写り込んでいたのだろうが、意識して眺めたことはなかった。
 神社の屋代の後方から行儀よく整列している(正確にはに七つではないが)大岩。これが「七つ石山」の由来でないはずはない。
 鈍足のおかげで、見落としていた風景と疑問を見つけられた。 

 おまけに、もうひとつ。
 立ち止まり呼吸を整えていた時に見かけたスズメほどの大きさの鳥。足音を立てていなかったため、少しピンボケだがカメラに収めることができた(写真左)。すばしっこく木の幹を跳び回る小鳥だった。
帰 宅後、図鑑で調べてみたらキバシリとある。たぶん間違いないだろう。
 おそらく漢字で書けば「木走り」だろう。その名のように木の幹を走り回っていた。

 鈍足も悪くない。幾分の強がりも込めて……。
(12.1.5)



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