山のアルバム バックナンバー 11



心に残った光景、季節の様子など、登山中のひとこまを載せています。
2017.4.10から2019.8.6までのデータが保存してあります。
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これ以降のデータは「山のアルバム バックナンバー13」に掲載しています。








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 3ヶ月ぶりの「山」になってしまった。

 車で山頂近くまで行けるところという限定付きだから、行けるところは限られている。自宅を中心として考えても10か所あるかないかだろう。その中でも自分にとっていろいろと思い入れと思い出が詰まっているのが、ここ入笠山だ。  初めて登ったのが「障害」のある子供達とのハイキング(その前に下見で登ったことがあるから、正確には「初めて」という訳ではない)。
 山頂からの眺めも申しぶんない。八ヶ岳は権現岳から蓼科山まで、手の届くようなところに広がっている(写真@)。北は後立山連峰(今回は雲にさえぎられて見えなかった)から槍・穂岳、乗鞍岳・御岳山を挟んで中央アルプスの木曽駒・空木岳方面まで一望のもとに見渡せる。東に目を転じれば富士山から南アルプス北部の鳳凰三山・甲斐駒岳が近くの山の向こうに見えている(写真A)。
 春から秋にはさまざまな花で彩られる。コナシ(小梨)、ヤマザクラ(山桜)、スズラン(鈴蘭)、サクラソウ(桜草)、ハクサンフウロ(白山風露)、ヤナギラン(柳蘭)、クリンソウ(九倫草)、スズムシソウ(鈴虫草)、エゾリンドウ(蝦夷竜胆)などなど。  雪が積もっているときにもやってきた。雪をかき分けて山頂に達した。雪まみれになってしまったが、それでも楽しかった。スノーシューや山スキーを使って遊びまわったこともある。スキーはうまい方ではないから、登るよりも下るほうがはるかに時間がかかり苦労した。  車で来られるから、(今回もそうだが)体調が悪くなってもやって来た。高山の空気と雰囲気を味わうにも格好の場所だ。近くには大阿原湿原(写真BC)あって、湿原の草花も楽しめる。なんと贅沢なことかと思う。

 一緒にこの山に登った何人もの人のこと思い出す(なかには切ない想い出もある)。今回もそんな山仲間のひとりとやって来た。互いに心臓を患い、2人とも山登りは思うに任せない状態になっている。
 自分自身に関して言えば、山頂までの短い道のりを歩き通せる自信はなかった。それでも何とか山頂に到達し得たのは、同行者が同病の仲間だったからかもしれない。それ故に山頂からの眺めはひとしおだった。

 いつまでここに来られるか分からないが、またの機会があることを信じていよう。 (2019.8.6)






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 約束されていた晴天だったのだけれど、新道峠に着いた頃には富士山の周りだけが雲に覆われ、その姿は見えない。代わりにという訳でもないのだが、ウグイス(写真@)とコガラ(写真A)の姿をカメラに収めることがて来た。
 花や鳥など、いつもは見られない姿を見つけるためには、立ち止まって上や下を丹念に眺めなければならない。時にはじっとその声の発生元を探り、わずかに動く影をとらえないといけない。
 先を急ぐようなこれまでの山歩きのスタイルでは、こんな画像を得ることはとてもできなかったろう。
(2019.5.30)










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 季節ごとに出かける山は決まってきた。そもそも車の助けを借りなければ出かけられないのだから仕方がない。いきおい行ける山は決まってくる。
 前日までは行こうかやめようかと迷っていた。前回があまりにきつかったからだ。前の晩も決して好調という訳ではなかった。でもたまにこうやって息抜きをしないと、世間の付き合いはやっていけない。こんな体調になってからも、自分のホームグランドは山だという、山でしか息抜きができないという思いから離れられない。
 湯の川峠、林道を走れば1600mほどの高さまで車で達することができる。少し歩けばお花畑もある。天気さえよければ南アルプスや富士山も望める。遠くまで行けなければお花畑でコーヒ―でも飲んで帰ればいい、そんな風に気軽に構えてやってきた。
 林道では富士山もはっきり見えていたが、お花畑に着くころには南アルプス(白根三山)の姿は霞みがちだった(写真@)。そんな時は遠景はあきらめ、近くの景色を楽しむことにする。  お花畑には、まるで「お食事処」のように、中央に岩場が座している。以前はここで小休止しておやつやお弁当を広げたことも何回かある。
 その岩場の向こうに草原の丘があり、1本の木が立っている(写真A)。いつもここに来ると、その誌的な風景をカメラに収めたものだ。一本の木が何の気だったのかは知らない。葉をつけているのを見たような記憶がないのだ。しかし今回は、わずかだが花が残っていた。なんとサクラ(おそらくマメザクラ)だった。
 桜と言えば、奥多摩の棒ノ折山頂にあるヤマザクラを毎年見に行っていた。ぼくは気取って、そのヤマザクラを「マドンナ」と呼んでいた。でももう棒ノ折には一生登れないだろう。しかし、ここなら何とか来ることができる。今度はもう少し早い時季に来てみよう。はたして今後、この桜がマドンナの代わりになるだろうか。
   前回と比べれば多少は楽とはいえ、歩けばすぐに息が乱れることは同じだ。そんな時、花や風景を写真に撮ったりすることはいい小休止になる。同じように鳥のさえずりを頼りにその姿を探したり、カメラを構えたりすることも同じような助けになる。
 今日は比較的早い時間に出てきたこともあって、鳥たちのさえずりがかまびすしい。なんとその姿もたくさん捉えることができた(写真B)。  間違っているかもしれないが、左上から時計回りに、コガラ・ホオジロ・シジュウカラ・ルリビタキ(メス)、としておこう。
 小鳥のさえずりに助けられるようにして、なんとか大倉高丸の山頂までたどり着いた(写真C)。出発点から標高差140mほどだった。
(2019.5.23)

追記:※最後の「ルリビタキ(メス)」は間違いでした。バードウォッチングを趣味とする友人が、お仲間の野鳥写真家の先生から訊いてくれました。正解は「ソウシチョウ」だそうです。ガビチョウのような外来種で、漢字では「相思鳥」と書くようです。







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 薫風さわやかな5月となった。どこか自然の中に出かけたい。しかしどこに行くにしても道路が混雑していることは間違いない。こんな時は家でじっとしているに越したことはない。実際に、連休中に出かけることはなかった。
 前に山に出かけたのが4月初め、山の草木は芽吹いたばかりであった(「ギフチョウ」参照)。その時だって決して楽に歩けたわけではない。低い山なのに、情けないくらいに足は重く、息は苦しかった。それでも1ヶ月もすると新緑の中に身を置きたい、山の空気を吸い、展望を楽しみたいという思いが募ってくる。
 マスコミを中心とした、天皇の代替わりや元号変更による痴呆的な大ムーブがやっと終了し、世の中が少しは落ち着いてきた。その数日後、朝から雲一つない晴天に恵まれた。日の出の時間もかなり早まっていて、もう5時になれば充分に明るい。山に出かけるには少し遅いくらいだったが、取るものも取り敢えず車を発進させた。歩くことすら息苦しいが、車の運転なら何も支障はない。
 西に向かって車を走らせれば、すぐに奥多摩の青い山波が見えてくる。逸る心を押さえてさらに進む。青梅の街を過ぎれば木々の緑があふれるばかりに迫りくる。途端に、毎週のように奥多摩に通っていたあの頃の感覚が蘇ってくる。奥多摩湖の沿岸道路を走っていると、右手には石尾根に続く山々が、左には湖水を挟んで浅間尾根が望める。
 小菅の集落を抜けると松姫トンネルに向かう幹線道路になる。むかしはこのトンネルはなく、大月方面に抜けるには松姫峠を越えるしかなかった。峠に向かうには、この幹線道路から離れ、(今はそうなってしまった)枝道にハンドルを切る。道は曲がりくねりながら次第に硬度をあげていく。新緑に染まった稜線が見えると、心がはじけるばかりになる。松姫峠はすぐ近くだ。
 松姫峠に到着。先着の車が3台ほど停まっている。すでに時間は9時を過ぎていた。
 松姫峠は南側が開けていて、白い頭の先を富士山がのぞかせている。東西に延びる手前の稜線の右端には、雁ケ腹摺山がピークを見せている。その稜線に交わるようにして、小金沢連嶺が笹子方面に向けて南北に走っている(写真@)。
 はじめはお散歩程度でいいと思っていた。ここまで来て少し歩けば当初の目的は果たせる。何も山頂まで行くする必要はない。そもそも山頂到達は可能性のひとつでしかなかった。
 むかしは足元の草花や周りの木々、景色にすら気を配ることもなく、ひたすらピークをめざしていた。それが楽しみであり、誇りでもあった。山頂でしか感じられない充実感、大気の味わい、山頂ならではの風景、そこでの軽食をとることの楽しさ、それらひとつひとつが山頂を目指す動機になっていた。
 さまざまな思いを断ち切り、登山道に足を踏み入れる。むかしの自分が嘘だったかのように、数歩進んでは立ち止まり、呼吸を整え、また次を踏み出すという具合だ。以前にも書いたが、まさに(知識でしか知らないが)エベレストに代表される超高所登山の様相だ。胸は押しつぶされるようにすぐに苦しくなる。まるで胸の中に鉄板が入っている感じだ。
 こうなると山の楽しさどころではない。今の自分に与えられた条件で、限られた楽しみを追求するしかないのだと、自分で自分に言い聞かせる。しかしそれでも、足は奈良倉山に向かっていた。矛盾はしているが、山頂に行かない自分を認めることができなかったのだ。
 新緑の中に身を置きたい、山の空気を吸いたい、展望を楽しみたいという望みに嘘はないけれど、結局欲しかったのはそれらを可能にしたむかしの自分だったのかもしれない。今の自分が認められず、山にこだわり続けるのは、ひとことで言ってしまえば「未練」ということになろう。その未練に引きずられるようにしてさらに登山道を進む。
 奈良倉山までの道のりは、普通の人ならお散歩コースだ。最後に少しだけ「坂」といえそうな登りがあるだけで、全体的にはダラダラとしたゆるい傾斜である。そんな緩斜面ですらぼくの足は重く、すぐ立ち止まる。立っているだけならその苦しみからは解放されるので、草木の写真をとったり、鳥のさえずりをきいてその姿を探したりして体を休める。周りから見れば実に余裕の山登りに見えたことだろう。  新緑の森は若い息吹に満ちている(写真A)。雑木の林は津波のような迫力で見るものを包み込む。朴の木(左上)やカラマツの林(右下)も個性豊かな表情を見せている。見慣れた山野草も色とりどりの花をつけている。春の森はとても賑やかだ。
 最後の登りを休み7、歩き3ぐらいのペース配分で登りきる。こんなことをしていると後日必ず後悔するようになる。疲れを引きずり、体調の悪化を覚える。それも仕方のないことと思考停止の状態を装う。
 山頂の展望はよくない(写真B)。しかし南側は一部切り開かれていて、富士山方面がよく見える。足元には「富士山天望所(ママ)」との看板が据えられている(写真C)。ここで小いっとき休み、軽食も取る。以前からの習いでもあるし、腰を下ろしたくもあった。
 山行途中に木の間越しに見え隠れしていた三頭山は、登山道からは一度もその全貌を見せることはなく、帰路の林道からその姿を望むことができた(写真D)。こう見れば確かに三つの頭を持っている。東の東京方面からだとその名の由来を推し量れるような相貌は得られない。
(2019.5.10)







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 今年の石砂山は最高だった。しかし、体調は最低だった。
 先ずは最高の話。最初は3日前の4月2日に行く予定だった。しかし当日は晴れてはいても不安定な気圧配置で、気温が低いうえに冷たい風も吹いていた。これではチョウも飛ばないと判断した先達の山仲間が、急遽予定を変更した。3日後には気温が高くなるとの気象情報を得ての結論だった。
 それは英断だった。この日は朝から気温も高めで、少なくとも午前中は風も少なかった。もちろん天気は晴れ。山に行く前から、これならギフチョウに出会えること請け合いと期待は膨らんだ。
 登山道に差し掛かる前から、ギフチョウの姿が見られた。まるでタレントの撮影会だ。山に登るつもりの無いたんなる蝶狙いの写真家まで集まって、獲物を狙っている(写真A左下)。里は春真っ盛りだ。写真@は全てこの山里で撮ったもの。
 ここからは最低の話。体調は悪いながらも、それでも足は山に向かう。当然同行の2人には先にってもらう。
 内訳話だが、軽重はあっても、ぼくを含めた3人とも何らかの心臓の疾患を抱えていたのだ。まあ、その中でもだんとつに悪いのがぼくであることに変わりはない。
 石砂山への登山道は、取り付き部分が急だが、途中は比較的なだらかな登りだ。そして、最後の山頂直下の階段状の登りがとりわけ厳しい。どこまで行けるか分からないが、とりあえず登山道に足を踏み入れてみた。
 しかしとにかくキツイ。取り付きの登りでは数歩歩いては休む。それでも心臓が踊っているような感じだ。息も切れる。いったんと録り付きの部分を過ぎれば、あとはそれほど急な登りではない。それでもぼくにとってはエベレストのように辛い。道端にある山野草の写真を撮ったり、景色を眺めたりしながら休み休み歩く。
 稜線にあたる日当たりの良い登山道にもギフチョウはやって来て、羽を広げて休んでいる。珍しいことに、交尾している蝶も見かけた(写真A左上)。ギフチョウの食性であるカンアオイ(菅葵 写真A左上)も(当たり前だが、)たくさん見かけた。動物のフン場(写真A右下)のようなものも見られた。奥多摩では時々見かけたことがあるが、こんなことすら懐かしい。
 結果的には山頂直下までたどり着いたが、とても最後の階段を上る気力も体力もなかった。でも、誘ってくれた先達には感謝である。
(2019.4.5)













 山らしい山に来たのは昨年の11月以来だ。山と言ったって、車で来ることしかできないのでたかが知れているが、それでも山には違いない。
 2月の初めに映画会を企画していて、気が抜けなかったのだ。個人でやればいいのに、組織を立ち上げてしまったばかりに気を遣うことが多い。それでいてやることはたくさんあるから、時間的にも余裕がない。その映画会もやっと終わった翌々日、膨らみすぎた風船がはじけるように山に出かけることになった。
 声をかけると、山仲間の3人が付き合ってくれることになった。山に行こうと呼びかけたって、ほとんどがドライブと観光といった実態。ただ山の方に向かって車を走らせたに過ぎない。だから3人にとっては物足りなかったのではないか。それでも嫌な顔一つせず付き合ってくれたことが嬉しかったし、自分にとっても久々の息抜きができて心が晴れた。
 「晴れた」と言えば、この日は立春。空が晴れ渡っていたのはもちろん、気温も高く、山のうえでも心地よく過ごせた。
 宝登山には毎年のように来ていた。しかし、昨年はケガをしたこともあって来ることができず、2年ぶりの訪問。
 事前にホームページで確認したら、ロウバイは見ごろとあったにも拘らず、以前よりは寂しく思える。枝が少ないようにも見受けられる。剪定したために、花の付きが悪いのか。
 いつもなら西ロウバイ園の方が見ごたえがあるのだが、今年はむしろ東ロウバイ園の方に軍配を上げたい。
 ここからは、西に両神山(写真上)、南東に武甲山(写真下)が望め、間に秩父盆地が広がって見える。この景色はいつ見ても同じだ。違うのは例年より山々が霞みがちだったこと。気温が高かったこともあるが、今年は寄り道してから来たので昼過ぎになったためもあろう(いつもは午前中に登っていた)。
 などなど不満を述べれば際限もないが、それでも山の空気を吸えたこと、気のいい仲間と出かけられたことが何よりの収穫だった。
(2019.2.4)






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 11月になってから快晴の日が続いている。こう何日も快晴の日が続くと、落ち着かなくなる。山にはとても登れないような体調になってからも、こんな気持ちはなかなか押さえきれない。山に通い詰めていたころからの習性だとあきらめて、車に飛び乗る。今日の行く手は埼玉県の堂平山と丸山だ。
 実は、山梨の大菩薩連嶺の一郭に行くつもりだった。しかし、直前になって林道が工事中で通行止めになっていることが分かった。そこで方向転換したのだ。どちらも車で目的地の直前まで行くことができる。「登山」というより「お散歩」という雰囲気。
 
 堂平山の標高はは876m。東京の日出山(902m)よりちょっと低い。山頂近くまで車で行くことができ、そこには旧東京天文台が設置されている。山頂は、広々としていて遮るものがなく、気持ちがいい。
 展望も日出山とよく似ている。都心の眺めがいい(写真@)こと、富士山もちょっぴり見える(写真B)ことなどである。関東平野を見渡すことができるのは同じだが、視界をを妨げるものがほとんど無いので、スケールが違う。
 いっぽう、日出山からはとても望むことができない秩父の名峰、両神山(写真A)を眺めることができる。しかし、同じく秩父の名峰、両神山は見られない。
 車に戻り丸山に向かう。
 県民の森の駐車場に車を停め、丸山に向けて歩き出す。紅葉が始まっている広葉樹の林の中は気持ちがいい。しかし、それも初めのうちだけ。息は苦しく胸が押しつぶされるようだ。もう昔の自分とは違うのだと言い聞かせるようにして、少しづつ少しづつ山頂目指して登る。
 昔と言えば、飯能の天覧山から山伝いに歩き、正丸峠を経てこの丸山まで(正確には、秩父の四番札所金昌寺まで)歩いたことを思い出す。勝手に「ウルトラハイキング」などと称して、ロングトレールのコースをひとりで設定し、挑んでいた。今は昔の話だ。
 丸山の山頂は樹林があり、見晴らしはよくない。代わりに3階建ての立派な展望台がある。これに登ると視界が開ける。
 先ほど行った堂平山も、その隣の笠山もよく見える。秩父盆地をはさんで、荒々しい両神山と、山頂部を削り取られた痛々しい姿の武甲山が望める。都心方面(南東)は、樹木が伸びていて見られない。
 富士山が見えるのではないかと探したが、それらしい姿はなかった。丸山の標高は960mだから、堂平山よりは高い。標高だけ考えれば見えるはずなのだが……。もしかしたら、堂平山と比べると、奥多摩・奥秩父の山並みに近づいてしまったので、見えなかったのかもしれない。
(2018.11.2)








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 人づきあいは基本的に好きなほうではない。付き合いが高じて面倒になると、山に行きたくなる。だが、山に行けるような体ではない。いきおい車の機動力に頼ることになる。
 古い山仲間と芦川村(現在は合併して笛吹市となっているが、芦川村の名がなくなってしまったことを個人的には惜しむ)の新道峠に向かう。天候は数日前から快晴が約束されていた。林道終点まで行けば、そこから普通なら5〜6分程で新道峠に着く。こちらはその倍近くの10分をみていた。
 登山道に踏み込んだとたん、冷たい空気に包まれる。森のにおい、鳥や動物の営みが感じられる。かつてそこに身を置き、慣れ親しんだ空気感だ。ここにいられるだけでいいと思えるような、これ以上何も望まなくてもいいと思えるような充足感がある(写真@)。
 それでも歩を進めれば、すぐに新道峠に着く。ここはすでに1570m以上ある。自分の脚だけではたどり着けない高さだ。
 新道峠から第二展望台まではほんの数分。急な登りもない。そこからの眺めも悪くないが、より見晴らしがいいということで、更に10分以上かけて第一展望台まで歩くことにする。実を言うと、この登りが今回の行程の中でいちばん大変だった。
 富士山の写真は、何枚撮っても、のっぺりとして面白みがない。せっかくの好展望を活かせないまま、何回もシャッターをきる。写真Aは、そんな駄作のうちのひとつ。先客の話によると、朝のうちは雲海が出ていたとのこと。富士を隠してしまう雲も、出現場所によっては劇的な効果が得られる。
 ぼくにとって、新道峠での大いなる収穫は、富士の絶景写真ではなく、山の中に身を置き、久しく味わわなかった空気に触れ得たことだったかもしれない。
 下山後、次の目的地、山中湖パノラマ台に向かう。新道峠の下の若宮トンネルを抜け、富士河口湖町大石に出る。写真Aで言うと河口湖の手前に見える集落だ。
 さらに車を走らせ、山中湖に至る。北岸の道を走り、パノラマ台駐車場に進む。しかし、駐車待ちの車が数台並んでいる。この日は平日だったので、よもやこんな事態は想像していなかった。数日間の約束された晴天のためだろう。仕方ないので、更に三国峠方面に車を走らせ、駐車できそうな路肩スペースに車を停める。
 ここも今年の8月に来たばかりだ。どうしても自分の行けるところは限られてしまう。それも仕方ないことではある。富士の写真は、相変わらず特徴のないものになってしまった(写真B)。
 新道峠では、一時は息も白く、肌寒いくらいに感じたが、ここでは日がすでに高く昇り、風を心地よく感じるまでなっていた。
(2018.10.22)








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 ぼくの山登りは富士山から始まったと言っても過言ではない。
 心臓手術を手術する前から山には行っていた。けれど年に1回か2回、夏の一時季における観光のような山登りだった。その程度の山だったから、心臓を手術した後では、山に行こうなどと考えることすらなかった。
 しかし術後10年ぐらいして、だんだんと体力的な自信がついてきた。体を壊す前は、富士山なんて行きたい山だとは思わなかったが、あるきっかけで試しに登ってみたいと思うようになったのだ。
 もちろん体力的な自信がついてきたとはいっても、それは日常生活の場面でのこと。山に行くとなれば、まして日本一高い富士山となれば話は違う。だから事前のトレーニングとして奥多摩の山に何回か通った。そのせいか、登山中のトラブルもなくすんなりと登れてしまった。
 そこからぼくの第二の山登りは始まった。1番高い山に登れてしまったのだ。となれば次は2番目の北岳(南アルプス)、そして2番目に高い奥穂高岳(北アルプス)といった具合に、高いところから攻めていった。山中で一泊をする場合は山小屋泊まりだったが、次第にテントを担いで出けるようになり、更に季節を問わず出かけるようにもなった。雪山にも行ったし、沢も登った。岩登りだけは、センスがないこと自覚し、さわりだけでやめた(出が止まりにくい薬を飲んでいるために、岩登りに関しては、ケガをして出血という事態になった場合のリスクということもある。だがそんなことを言ったら、山に登ること自体がリスクを増すことになる。どこでブレーキをかけるかの違いでしかなく、自分はそこでブレーキをかけただけだ)。
 その意味で、ぼくにとって山登りの始まりは富士山だったと言える。
 富士山そのものにも何度となく登った。御殿場口を除くすべての登山口から歩いた(御殿場口は下山には使った)。とは言っても、ほとんどが5合目からだが……。唯一の例外が、田子の浦の海辺から山頂まで歩き通したこと。夜中から歩き始めたのだが、その日の夕方にやっと八合目までたどり着けた。脚の筋肉はパンパンに張っていた。
 雪があるときにも登った。日帰り登山も何回かした。日帰りはそのほとんどが須走口だった。とかく富士山は馴染みのある山だ。
 今回はその富士山の須走口五合目から小富士までのハイキングコース。ほぼフラットな行程だ。このコースもすでに何回か歩いた。だが今回は、もう山はダメなのではないかということを思い知らされる結果になってしまった。
 小富士まで到達できなかったわけではない。山登りは難しい体の状態になっているという自覚があったから、小富士のハイキングコースに踏み出したはずだった。しかし、その代償は小さくはなかった。体の疲れが尋常ではなかった。平らな道なのに、途中何回も立ち止まって息を整えた。ダメージは残り、その日一日は自分の身体ではないような疲れかただった。たまたま小富士の山頂でお昼をとっていた保育園の子供たちのほうが、よほど元気だった。
 疲れやすい、回復が遅い、回復しても元の状態に戻ることはない。そんな状態でどこに行けるだろう。「登ろう」とは既に思わない。登らず、歩かず、疲れずで行ける山はあるのか。山でなくとも自然に触れられるのか。
 今回の訪問でひとつだけよかったと思えたことがある。それは、かつて感じた山の雰囲気を味わえたこと。里では聞くことができない鳥の鳴き声や、針葉樹林の匂いに、それは象徴される。懐かしんでも仕方ないのだろうが、今の自分にはそれがリフレッシュになる。そのためにだけでも、山や自然に関わっていければと思う
 @小富士遊歩道入り口  A小富士と富士山(裾野側から)  B小富士(富士山側から)
(2018.8.30)





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 登山ができなくなった自分にとって、山でのテント泊は無縁のものとなった。だからテントも他人に譲るか、捨ててしまおうかと思ったこともある。もちろん、近くの既設のキャンプ場にテントを張る手もなくはない。けれどそれだけでは面白くない。とにかく山で泊り、朝を迎えたかったかったのだ。
 長野県中川村に陣場形山という1445mの山がある。山頂まで車で行けるので、これまでも2度ほど行ったことがある。正面に横たわる中央アルプスの眺望が見事だ。今年も仲間を誘って行こうと計画を立てた。
 心不全のせいで日帰りはきつい。できれば宿泊まりで1泊のほうが有り難い。そんなももろの事情で、みんなの都合がなかなかかみ合わない。そうこうしているうちに梅雨に入ってしまった。こうなったら1人で行こうと腹をくくった。
 陣場形山の山頂近くにはキャンプ場がある事は知っていたが、これまでは泊るという発想はなかった。しかし、1人で行くならどんな宿泊形態であろうとかまわない。むしろテント泊は望むところだ。
 それでも10年以上テント泊をしたことはなく、不安はあった。テントを張るには中腰になることが多く、またテント内での生活も同様だ。中腰での作業はきつい。果たして今の自分の体がそれに耐えられるだろうか。調理は最少限に押えよう。車で現地まで行けるのだから、設備や道具・食料を切り詰める必要はない。その点は楽だ。
 こんなふうにして実現したテント泊だったが、思いのほか設営方法などは身に付いていたようで、とまどうことは無かった(写真C)。もちろん、車から荷物を運ぶのは少々きつかったが……。
 しかし、なによりも山に泊れたこと、山で朝を迎えられたことが嬉しかった。梅雨の晴れ間ということで雲は多かったが、山頂からの眺めも相変わらず素晴らしかった(写真@)。せっかく泊まるのだからと星空撮影にも挑戦したのだが、あえなく失敗。真っ黒な画面が残っただけだった。その代わり飯田市方面の夜景は手に入れることができた(写真A)。望遠レンズで宝剣岳と千畳敷も写せた(写真B)ツツジは盛りを過ぎているとはいうものの、まだ見ごたえはあった。
 山(自然)の中でテントを張って泊ることの良さを改めて味わった。可能なら、これからもこんな機会を持てればと思う。場所は山でなくともいい、自然の中であれば。
(2018.6.7-8)

※以下の画像をクリックして動かしてみてください。陣馬形山山頂からのからの360度画像が得られます。)
180608陣馬形山山頂 - Spherical Image - RICOH THETA














 20年以上年以上も山づきあいをしている友人と湯ノ沢峠に出かける。もちろん、林道を使って車で上がるしかないのはこれまでと同じだし、これからも同様だろう。友人は心得たもので、またありがたいことにこんな「山行」にも付き合ってくれる。
 湯ノ沢峠の駐車場から(元気な人なら)10分も歩けば、もうこの「お花畑にたどり着く。と言ってもここは標高1600メートル以上ある。まだ花が咲きそろうには時間がかかる。
 この場所には一昨年(2016年)10月にも来た(「山のアルバムBN11」参照)。その時は南アルプスを遠望することができた。しかし、今日は気温が高く、時間も昼近くなっていたので、アルプスの姿はうっすらとしか見えない。山も花も期待していたほどは得られなかった。  「花より団子」、何はともあれ近くの岩場に腰を据えて昼飯にする。コーヒーの香りと山の空気が鼻孔に心地よい。歩けなくとも、山の雰囲気さえ味わえれば充分だ。友人とのたわいないおしゃべりも楽しい。
 北に目をやれば湯ノ沢峠を越えて白谷丸に向かう登山道(写真上)、南には大倉高丸へ至る登山道(写真下)がくねくねと延びている。
 ぼくにとって、かつてここは大菩薩から滝子山に至る経由地に過ぎなかった。今ここは、忘れていた山の生活の一端を思い出せてくれる、ぼくの人生の休憩地かもしれない。ここに来るだけで心が洗われるような気がする。
 また来よう。何年あとになるかもしれないが、たとえミミズのような歩みでしかなかったとしても、息切れして立ち止まっている時間のほうが多くなろうとも、自分の足で立っていられる間は、忘れものを取り戻しに来るように再訪したい。
(2018.5.15)











 今年でもう4年目になる、石砂山へのギフチョウ詣。昨年は、何とか山頂までたどり着いた。しかしギフチョウにはお目にかかれなかった。その後の体調のの悪化と、交通事故も重なり、次は登ることはできまいと、はなから投げていた。
 それでもありがたいことに先達からお声がかかった。先達も気を遣ったとみえて、今年はやめようと言ってくれたけれど、車を運転できないわけではないので、山麓までは送りますと申し出た。
 そんなわけで山に登ろうなどとはつゆほども考えず、先達が下りてくるまで、山麓でチョウや花の写真を撮って時間つぶしをしていればよいと考えていた。なんといっても歩くのさえきついのだから、山など登れるはずがない。
 今回は、先達のほかにもうひと方、旧知の仲間との3人連れだ。お二方には山頂まで登ってもらい、予定通り下でチョウ探しや写真撮影と決め込むことにした。
 しかしだ、…なぜか足は登山口のほうに向かっていた。長年山を歩いてきた習性なのか。もちろん山頂までたどり着けるとは考えてはいない。試しに少し登ってみようというぐらいの、言ってみれば出来心。
 かなりゆっくりでも息が切れるけれど、歩けないわけではない。ナメクジの這うような速度だが、坂道を登れないわけではない。もちろん数歩登った後には呼吸の乱れや胸の圧迫感がある。そのたびに立ち止まる。もう何回も繰り返したが、、エベレストの高所登山もかくやと思える。かつて山で感じていた息切れはまだましなほうだったのか。  だが、苦しいばかりではない。懐かしい早春の山野草たちに出会える(「山の花」参照)。ギフチョウはカメラではとらえられなかったが、数頭見かけることができた。ギフチョウの幼虫の食草であるカンアオイ(寒葵)も、気が付けばそこここにある(写真中 ※ギフチョウの写真は同行者のお二方が撮ってくれたもの)。若葉が地面に描く素敵なデザインも発見(写真下)。
 とぼとぼ、ヨタヨタとやっとたどり着いたのが一番上の写真。普通の人なら1時間で山頂までたどり着くであろうところ、同じぐらいの時間をかけて半分も登ったろうか。
 下りも簡単ではなかった。足の筋肉が落ちていて、踏ん張りがきかない。そのうえ登る気もなかったものだから登山靴すら履いていない。普段履きの運動靴だからつま先が当たって痛い。山に行くつもりもなかったから、水筒すら持っていない。山での蓄積が、自分の中から完全に消え去っているのを自覚させられた。
 こんな苦しい、落ち込みがちな体験だったが、先達には感謝している。きっと誘われなかったら山には向わなかったろうし、一歩踏み出すこともなかったろう。結果的にしばらく動けなくなったとしても、山に向かう気になったのも自分だし、一歩踏み出したのも最終的には自分の決断なのだから。
(2018.4.6)






 片松葉で近くの書店に出かけた。交通事故で脚を骨折して以来、病院を除いては久しく出かけてなかったので、気分転換だ。  平積みされた雑誌の中に『岳人』がある、特集は「冬の八ヶ岳」だ。1月号だから昨年12月に発売されたものだろう。あと2日もすれば2月号が出る。いつもなら買わない。しかし、迷いもなく手にしていた。
 ページを開く。そこは白と濃紺の世界だ。何度も通った山、八ヶ岳。もう絶対に行くことはない。
 これまでは計画前の情報収集や、期待度を高めるために買ったことが何度もある。山に行かなくなった自分にとって必要のない雑誌だ。でも手に取っていた。写真を見たかったのだ。自分もかつてはそこにいた。自分が見た風景がそこにある。
 八ヶ岳はアクセスがよい。早朝に車で出れば、積雪期でなければ日帰り登山も可能だ。3000mに欠けるとはいうものの、アルプスに引けを取らない高山だ。南八ヶ岳では、森林限界を超えれば岩稜地帯が続く。いっぽう、北八ヶ岳では針葉樹に囲まれた山歩きや、池巡りも楽しめる。
 景色も素晴らしい。主峰赤岳からは、三ツ頭・権現岳・編み笠山の連なりが続いている。釜無川を挟んだ向こう側には、南アルプス前衛の薬師三山、その向こうには甲斐駒ヶ岳・北岳、仙丈ヶ岳といった高峰が連なっている。左に視線を振れば雲の上に富士山が浮いたように見えている。  花も多彩だ。コマクサ・チョウノスケソウ・オヤマノエンドウ・ウルップソウ・ミヤマダコンソウ・イワベンケイ・ハクサンイチゲ。ツクモグサは最後まで見ることができなかった。ホテイランを見たときは感動した(「山の花 バックナンバー2」参照)。小さい花で見落としがちだ。見つけられたのは、苦しくてうつむいて歩いていたから。自分の体調が次第に悪くなっていく時で、早くは歩けなかったのだ。
 初めての本格的な雪山も八ヶ岳だった。臆病な自分は、トレースがついていることを赤岳鉱泉の山小屋に何度も確認した。もちろん年末年始の期間だ。あの時はどこをどう歩いたものか。もしかしたら上には行かず、中山乗越経由で行者小屋まで行っただけかもしれない。
 でも、それから何年後かには硫黄岳から横岳を越えて赤岳まで歩いた。雪が付いている横岳の通過は冷や汗ものだった。ルートが諏訪側から佐久側へ移るとき、雪の稜線をまたぐようにして乗り越した。背中には展望荘に届けようと、一升瓶か入っていた。
 冬でも開いている黒百合ヒュッテに泊まったこともある。翌朝、外気温が−14度だったことに驚いたが、それほど寒いとは思わなかった。
 その日は天狗岳を目指した。東天狗より西天狗のほうが積雪は多く、転げまわったり、滑ったりして遊んだ。天狗岳は切り立っているわけではなく、こぶのように突き出した小さな2つの山で、危険は少ないのだ。
 前にも書いたが、北横岳に登り、双子池のあたりでテントを張ったときはほんとに冷え込んだ。コンロを炊けばすぐに暖かくなるのだが、消した後はシュラフを二重にして、シュラフカバーをつけてもひどくも凍えた。何を好き好んでこんなことをしているのだと懐疑的にすらなった。
 翌朝のテントの内側は、霜で真っ白だった。天候に恵まれ、大河原から蓼科山に向かう。冷え込んだぶん空気の透明度が増し、雪の白と濃紺の空が作り出すツートンカラーの世界をひたすら歩いた。
 『岳人』を開くと、そんな思い出が次々に浮かび上がってくる。

   思い出を呼び起こすためのみ購入す
   『岳人』のphoto
   山路とだえて

   今はただ
   雪面鳴かせ行く我の姿みており
   『岳人』のphoto (2018.1.13)










 「もう山はだめかもしれない」と思うことはこれまでにも何回もあった。だが、今度は本当かもしれない。ひとが聞いたら、「またあんなこと言っているよ」と思うかもしれない。自分でもすぐ弱音を吐くほうだとは思う。
 広々として自由に歩けた道が次第に細くなり、人ひとり歩くのさえやっととなる。さらに道は狭まり、ヤブが覆いかぶさるようになり、獣道のようになってしまう。たとえて言えばそんな感じか。今はヤブこぎしてもなかなか前へ進めない状態だ。
 はじめは山で感じた。通い慣れた奥多摩の山道、いつもはぐいぐい登れたのにやたらと息が切れる。今日は体調が悪いのだろうくらいに考えていた。しかし、それが毎度のことになった。それでも山が好きだから、ゆっくり歩けば登れないわけではないから、山に出かけた。
 そのうち、駅の階段を上るだけでも苦しくなった。少し早く歩くと息が切れる。ここで初めて体調の異常に気付いた。
 3度目の心臓手術を覚悟して病院に入院して調べてもらう。しかし、手術適応ではないと言われる。医師が言うには「2度の手術もあって、心臓が固くなっている。血液を排出する力が弱く、体に血が充分にいきわたらない。特に肺へ血液が充分に届かないことで呼吸がすぐに苦しくなる。」とのこと。拡張性心機能障害だそうだ。内科的な治療(薬の服用)で対処するしかない。
 こりずに山には行くが、あまり長いコースは無理。車で頂上近くまで行き、手軽に山頂に立てるところ。そんな場所ばかりねらって車を走らせる。回数は格段に減った。
 同じことが日常生活でも起こっていた。毎日朝の散歩は欠かせたことはない。いつもは1時間から1時間半、距離にして7、8km。少しずつだが息切れを感じるようになり、苦しさを押さなければ歩き続けられない。早く歩くと苦しいからスピードを抑える。そのうち、ゆっくり歩いていても息苦しいくらいになる。はじめの数十歩ぐらいでは、これは大丈夫かなと思うのだが、すぐに胸のあたりの圧迫感が強くなる。下腹に石を抱えた感じといえばいいのだろうか。
 しかし、歩くのをやめればすぐに息苦しさは消える。安静にしていれば大丈夫なのだ。ただし、疲れやすく、回復もするにも時間がかかるようになった。疲れすぎてもまずいので、距離も短くなった。3,4Kがいいところ。長く歩くことが苦痛ですらある。同じ距離なら1.3〜1.4倍近くの時間を要するようになった。
 「歩けないわけではない。超スローペースならば移動できる。だから山には絶対にいけないということではない。でも、かつてのような山歩きは不可能。3000mを超すアルプスは言うまでもなく、雲取・鷹巣だって無理だろう。」、そのような認識に立っていたのが数ヶ月ほど前。今ではもっと低い山でもどうかという程度まで落ち込んでいる。だいいち、山に行きたいという気力がなかなか生じない。かつては山に行けば楽しいことばかりだった(急登をすら楽しかったこともある)のに、今では、歩くことさえ苦痛なしでは続けられない。
 今は安静にしていればどうということはないが、、少しずつ少しずつ苦しさが積み重なっているところをみると、将来的にどうなるのかという不安は常にある。ヤブこぎであっても、前進はできていたが、密生したヤブに進むこともかなわなくなる時が来るのではないか。安静状態でも、呼吸が苦しくなるようになったら…、げんにその状態にかなり近づいているような気がする。山に行くことがその進行を速めているかもしれないという心配もある。
 ではどうしよう。「山のページ」は年貢の納め時か。
 記録として残すてはある。でもそれだと少し寂しい。
 山には登れなくとも、山を見ることはできる。
 正直迷っている。
 絶対に山に行けないか、行かないかと言われても判断のしようもない。
 能力的に絶対に無理かと聞かれれば、決して無理とは言えないと、小さな声で答えるだろう。
 絶対に山に行かないと決めたのかと問われても、そんなことは…、と言葉を濁すだろう。
 時たまこのページをのぞいてくださる方に現状を伝えたくて、言い訳がましいとは思いつつ、文字にした。自分の立っている位置、そこが山の頂なのか、谷間なのかは別として、ここから見える景色を伝えておきたい、そんな思いもあった。
(2017.7.6)


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 坂の上りはきつい。ちょっとした傾斜でも息が切れる。普通の人はハイキングでも、(もう何度も言ったが、)ぼくにとってはエベレスト。好きで行っているのだからしかたないが、何人もの人に追い抜かれる。そのたびに、「こっちは心臓が悪いんだぞー!」と叫びたくなる。
 内部障害は理解されにくい。見かけは普通の人と同じだから。身内の人間ですら実態は把握できていないだろう。だいいち、山に出かけているのだから……。
 伊豆ケ岳の男坂(写真左 上からのぞいた図)。そんな心臓の悪いやつは、普通は男坂を避けて、女坂を登ると思うだろう。ところがどっこい、ぼくは男坂を登る。ゆっくりペースは歩く時と同じだが、手も使うぶん、呼吸(心臓への負担)がいくらかは楽なのだ。
 登りきって少し行くと、展望のきく岩塊がある(写真右上)。近年では、周りの木が成長して北側が見えなくなったのは残念だが、ここがぼくの定番の休憩場所だ。
 今年は忘れずにマグカップを持ってきた。コーヒーをいれて飲む(写真右下)。家でコーヒーを飲むことはあまりないが、山では気取ってコーヒーをいれる。いい香りが、「どうだ!」と言わんばかりに、あたりに漂う。
 今日はもうこれで終わりでも悔いはない、そんな気分にさせられる。
(2017.5.20)






 
 もう棒ノ折山には登れないかもしれない、そんなことを考えて登るのをためらっていた。それにヤボ用も重なった。
  「行けそうにない」などと思いながらも、ネットで山頂の桜の開花はどうなっているのだろうと注視していたところ、29日の記録に満開の桜の画像が載った。こうなるともう腰が落ち着かない。どうやら5日は天気がよさそうだ。ためらいつつも山に向かうことにした。
 ルートは前年と同じ、常盤林道を終点まで行き、黒山経由で棒ノ折に達する(おそらく標高差も行程も)最短コース。それでも、とにかく苦しい。登りになると(ほとんどが登りたが……)数歩歩んで息を整え、また歩く。そんなことの繰り返し。
 幸いこのコースは人が少ない。しかも早い時間帯とあって、「ゴンジリ峠」までは一人も会わなかった。少しはプライドが残っている。  途中、少なくない数の桜の花びらが地面に落ちていた。期待がしぼむが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
 なんとかたどり着くことがてきた棒ノ折山の山頂。かんじんの桜は、半分が枝先、残りの半分が地面という状態だった(写真)。それでも、残念という思いが少なかったのは、山頂に到達できたことの喜びあったからだろう。

   散り敷くも
   風に舞えども山桜
   この日かぎりの命と思はば

(2017.5.5)




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 山頂近くの長い階段を経て、やっと山頂にたどり着く。
 今年は登るのは無理だと考えていた。心臓の具合は少しづつ悪くなっている。ぼくのことなどかまわずに山頂に行ってもらい、みんなが帰ってくるまで下でチョウや花を撮影してい.ると事前に宣言していた。
 それでも、行けるところまでは行ってみようと、とりあえず登山道に足を踏み入れる。男4人の珍道中。みんなぼくより年上だ。中には75を過ぎた方もいる。バカ話をしながら歩いてくれたおかげで、尻を追うかたちだが、途中までは背中が見える距離で歩き続けられた。花や風景を撮影しながらというのも良かったのかもしれない。
 普通の人なら、山頂まで1時間もかからないようなゆるい山歩きだ。ところが、山頂近くに丸太で組んだ長い階段がある。途端に心臓が悲鳴を上げる。無理はできないから数歩歩いては休むを繰り返す。まるでエベレスト登山だ(これまで、何度このフレーズを繰り返してきたことか)。仲間の後ろ姿はすでになく、あとから来た人に道を譲りながら、一人歩き続ける…と言うより止まっているほうが長い。
 長い登り階段(元気な人にとっては一気に登ってしまうような階段だが…)も、諦めなければいつかは終わる。多数の人が集いさんざめく山頂が見えてきた(写真上)。もちろん話題の中心はギフチョウだろう。
 それでもこの日、なかなかその姿は見られない。先に到着していた人たちも、1時間もすると、一人二人と下山していく。体は冷えるし、チョウは現れそうもないとあきらめて。ぼくらも1時間以上いて、山頂周辺も探索してみたが、それらしい姿に出会うことはなかった。
 チョウといえば、ボロボロになったヒオドシチョウ(写真下)が斜面で羽を休めていた。昨年も、同じようなヒオドシを何頭か見かけた。ギフチョウと違い、誰にも注目されてはいない。
 こんな姿になってまでここに来るには、何か理由があるのだろう。ちょっと聞いてみたい気がした。
(2017.4.10)


これ以前のデータは「山のアルバム バックナンバー11」に保存してあります。
                




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