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心に残った光景、季節の様子など、登山中のひとこまを載せています。

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最新データ 2019.11.6
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 新道峠、今年の5月にもここにやって来た。その時はガスがかかっていて富士の姿は拝むことができなかった。全国的に快晴が約束されていたような気象情報だったのに、富士山の周りだけがなぜか雲が湧いていた。こんなことはよくある。
 今日も同じような予報が出ていたが、さすがに秋、周りには雲ひとつない。富士山はおろか南アルプスまでしっかり見えていた。

 かつては新道峠は有名なところではなかった。おそらくインターネットの普及に伴ってだろう、富士山のビューポイントとして多くの人が知るところとなった。そのせいかどうかは分からないが、林道の行き止まりの駐車場は、車の旋回場所となっていた。休日にはたくさんの車が押し寄せ、ターンもままならない事態になるのであろう。駐車すべき場所はそこより少し下った林道わきの空きスペースを利用するしかない。
 とは言ってもこちらは平地を歩くのにも息が切れる心不全の状態、それに平日とあって車は少ない。申し訳ないが「旋回場所」の片隅に車を停めさせてもらうことにした。
 峠までは「歩いて10分」と書いた看板が架けてある。とんでもない。歩き始めてすぐに立ち止まり。息を整えまた歩き出す始末。新道峠、第二展望台、を経て第一展望台までは標高差で100m前後であろう。それを1時間近くかけて歩く。

 私のような写真の素人には、富士山の姿はどう撮っても決まりきったものになる(写真@)。早い話が「つまらない写真」にしかならない。今回もそうだった。人に見せる写真というよりは記録の意味しかない。
 西に目を向けると、節刀ヶ岳に続く稜線の向こうに南アルプスが見えている(写真A)。それを拡大したものが写真B。私の判断に間違いがなければ、右が悪沢岳、左が赤石岳だ。
(2019.11.6)









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 雨の降り続いた10月、久々に晴れ間が続くようになった30日、急遽甘利山に出かけた。本当は翌日の31日の予定だったが、その日は空けられないことが分かり、しかも甘利山公園線が通行できるのは10月いっぱいとあっては、「30日しかない!」というわけでやってきた。
 前日まで雨だったので、この日は朝方は霧が出るという予報になっていた。「霧の朝は晴天」との言葉を信じ、あわよくば雲海に浮かぶ富士の写真が撮れると気負いこんだ。
 中央道を西に向かう。天気は上々だったが、笹子トンネルを抜け甲府盆地に入ると空は雲に覆われ、前途の希望はすぼみがち。方向転換も考えたが、双葉サービスエリアに着いた時は青空ものぞくようになっていた。
 韮崎のインターチェンジを出て釜無川をわたり、甘利山公園線に入る。地元の韮崎工業高校が競歩大会を実施していた。時間が早かったせいか、はじめのうちだけ生徒の集団を追い越すと、もう先には給水ポイントが要所要所にあるばかり。
 途中薄い霧のかかった層を抜けると、日差しの差し込む青空が迎えてくれる。これは期待が持てそうだと駐車場に車を滑り込ませる。ここに競歩退会の折り返し点になっているらしく、関係者の教員や保護者がテントを張って待ち構えている。
 歩きだしはここから。まずは雲海とばかり、夜景の撮影ポイントと言われる東屋目指して歩きはじめる。東屋までは標高差50mほどのものか、それでもこちらの心臓はには負担が大きく、休みやすみの歩行となる。
 確かにここからの眺めはすばらしい。甲府盆地が一望でき、右手(南方面)には富士山が立ち上がっている。「雲海」と呼ぶには隙間が大かったが、甲府盆地は雲がまだらに広がっている(写真@)。夜景や日の出の頃の景色はさぞやと想像できる。
 甘利山山頂はここから更に100m以上登る。普通の人ならば駐車場から30分もしないで到達できるはずだが、病んだ心臓を抱える身としてはそうはいかない。例によってカメラを構えたり、景色を眺めたりしながらの超スローペースだ。
 甘利山(標高1730m)は「山」には違いないが、標高2138mの千頭星山へ登るルートの途中にある岡のようないち隆起にすぎない。以前元気だったころにはここは通過点のひとつでしかなかった。千頭星山に至り、そのルート途上で鳳凰三山を拝むのが主な目的だった。
 写真Aを見ていただければ分かると思うが、奥に見えるのが千頭星山で、その手前に広がっている草原状の広がりの頂点が甘利山という位置関係になっている。写真Bのように撮影すれば甘利山としての姿が際立つ。
 この場所はレンゲツツジのような小低木が主で高木はほとんどない。そのため見晴らしもよく人々から好まれているのだろう。反面、千頭星山山頂からの展望がよくないことも影響していると思われる。高層にある草原状の地勢の心地よさがある。
 甘利山の山頂から駐車場方面を望むと写真Cのように見える。「草原」の向こうが釜無川を挟んで茅ヶ岳や奥秩父の山稜となる。
 山頂で少し早い昼飯をとっていると下の方から賑やかな声が聞こえてくる。後数分もすればここまでやってくるに違いないと覚悟していたが、なかなか姿が現れない。かなりの時間が経過した後その集団は山頂に到達した。それもそのはず、車いすの男性を6人位の男女が取り囲み、傍らにはその男性の妻とおぼしき高齢の女性が控えている。彼らはボランティアスタッフで、車いすの男性とその妻を山頂まで案内してきたようだ。
 以前、私はこう書いたことがある。「車いすでの登山は、介助者にとっては意味があるだろうが、自分が車いすを使う障害者であったら意味を感じるだろうか?」と。今でも「自分が車いすを使う障害者であったら」という立場での考えに変わりはない。
 だが彼らの姿を直接拝見して、とりわけ奥様の様子を見ていて、ここ(山に、あるいは山頂に)なんとしても連れて来させてあげたいという気持ちは伝わってきた。それでも自分の考えへのこだわりから、素直になり切れていなかったことも確かだ。自分自身が本来の登山をできない体になってしまっているにもかかわらずだ。
(2019.10.30)







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 湯ノ沢峠。ここに来るのは今年で2回目。前回よりも体力の衰えを感じている。でも行けるところまでは行こうと駐車場から歩きはじめる。ここの標高は1600mほどだ。ここまでやってこれるのは、車と、整った林道があるおかげだ。
 本来の湯ノ沢峠は駐車場から東に100mほど行ったところにある。そこから網のゲートを2つほど通り抜けながらひと登りすると草原のお花畑になる。シカに食い荒らされてしまったとかで以前ほどたくさんの花が見られるわけではない。それにこの季節、多くの花が終わりかけている。
 高層の草原は気持ちがいい。この日は気圧の状態が不安定で雲も湧き出ていた。草原の北側にある白谷丸にかかるガスがアクセントになり、いかにも山らしい景色になっていた(画像@)。
 お花畑から少し下り、更にまた昇り返すと正面にめざす大蔵高丸が見えてくる(画像A)。ここまででも途中何度休んだことか。あの山の頂までたどり着きたいという意欲と体の苦しさを天秤にかけると、このまま帰ってしまいたくなる。それでも、時間はいくらかけてもいいし、途中で草花や鳥の姿を追いながらであれば何とかなるだろうと、また一歩踏み出す。
 この場所からまた少し下り、そこから大蔵高丸の登りが始まる。この下り坂も帰りは上り坂になるのだと思うと、行くのをためらう気持ちになる。
 「這ってでも行きたい」とよく言うが、まさしくそんな感じの進行だ。下りはともかく、登りとなると数歩歩いただけで息が切れ、立ち止まらなくてはならなくなる。本で読んだことしかないが、エベレスト登山はこんな感じらしい。こんなところでその実感を味わっても嬉しくはない。
 歩みを止めるたびに近くに良い被写体はないか、鳥の声が聞こえないかと探索する。そうでもしないと歩き続けられない。前回ここに来た時より苦しく感じるのは、鳥の姿が見えないからか。前に来たときは木々が芽吹き始めたばかりで見通しがきいて、鳥の姿もよく見えたのだ。しかたないので、小さな草花やキノコ・コケなどを撮影して気を紛らわす。
 駐車場を出発して2時間近く、やっと大蔵高丸の山頂にたどり着く(画像B)。標高差120mほど。通常なら1時間もしないで到達する所だ。帰っても疲れが抜けず、きっと後悔するだろう。
 雲が出ていて富士山は望めない。ここまでたどり着けた喜びよりも、こんなことをしていて何になるという気持ちに傾きがちだ。
 山頂で軽食を取り、山を下りることにする。先ほど下った小さな坂が今度は登りとなって自分に襲いかかる。近くの風景をカメラに収めたりしながら、だましだまし登る。お花畑で会ったハイカーに先には行ってもらい、あくまでもマイペースを保つ。
 駐車場に戻って時計を見る。さすがに下りの経過時間は1時間ぐらいだった。なんとなく大きな山に行ってきた雰囲気。だがそれほどの達成感や充足感はない。あるのは苦しさの記憶ばかりだ。それでもきっと、また山には出かけて来るのだろうな、山の空気を吸いたくなるのだろうなと、薄々感じている。
 帰りの林道から今日の行程が一望できるところがあったので、カメラに収めた(画像C)。いちばん左の窪みあたりが湯ノ沢峠、中ほどのとんがりの左側の草原らしきところがお花畑、そして一番右のピークが大蔵高丸だ。見る人が見ればなだらかな山なのだが……。
(2019.9.25)

これ以前のデータは「山のアルバム バックナンバー12」に保存してあります。