上申書を提出

 下記裁判長の不当発言を受けて、判決言渡しに原告は出廷するとの意思を表明する上申書を東京地裁立川支部に提出しました。上申書の本体はこちらからご覧いただけます。
 --------------------------------------------------------------------------------------------
 
本裁判は、6月28日の第3回口頭弁論をもって結審となり、8月26日の判決言い渡しが裁判長から告げられました。そのさい、裁判長から「(裁判所に)来る必要はありません」「判決文は送ります」、とのことが伝えられました。
原告はこれを聞いて、いささか奇異な感じがしました。日本国憲法第82条1項には、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」とあります。釈迦に説法ですが、裁判の公開原則であり、国民の権利です。
 被告・原告等の当事者に比して、裁判長は法廷では絶大な権限を持っています。その裁判長からこのように言われたとき、一般人である当事者・傍聴人を含む関係者、とりわけ本人訴訟当事者が、「法廷に来て裁判長から判決を聞くことはできないのだ」と受け止めてしまっても、これを責められるでしょうか。
 もとより、裁判長に憲法第82条1項を侵害する意図があろうとは考えていません。裁判長は通常の裁判(原告・被告ともに代理人を立て、判決言い渡しには当事者不在)における判決言い渡しを想定され、そのように言われたのだろうと推測します。これは民事訴訟法第250条、及び251条2項によるものであることも理解しています。原告はそのように理解し、了解したとはいうものの、人によっては、上記のように受け止めてしまうことがないとは言えません。
 実は、原告は以前にも判決言渡しにおいて不快な思いをしたことがあります。自身の訴訟の判決言い渡しがなされた後、そのまま続けて次の訴訟の判決言い渡しが行われ、(原告はまだ法廷内にいたため)何がどうなっているのか訳が分からず戸惑っていると、書記官から早く退出するように指示されたのです。
 裁判とは、原告にとって他のあらゆる手段を尽くしても解決しないため、司法にその判断を委ねるものです。その判決言い渡しにおいて、まるで流れ作業のように扱われることは、判決の内容もさることながら、いかにも耐え難い屈辱です。原告が判決言い渡しに出廷したいという思いの背景には、そのようなこともあります。
 すでにご承知のとおり、原告は代理人を立てず「本人訴訟」でこの裁判に取り組んできました。それゆえ、判決の際には裁判長自身から発せられる言葉で、たとえ主文だけであろうとも、直接お聞きしたいと考えています(もちろん、体調等の事情により出廷できないこともあり得ます。その場合は書記官に連絡します)。この裁判に関心を持ち、傍聴に来てくださった方々もそのように考えておられることと、原告は確信しています。
 原告は、憲法第82条1項、及び民事訴訟法第250条に従い、判決言い渡しに出廷することをお伝えします。

 --------------------------------------------------------------------------------------------
(2025.7.11)




   第3回口頭弁論報告

 通信の発行やら何やらで、ホームページの更新を忘れていました。「自由と人権通信NO.57」で既に報告したのですが、ここで改めてその内容を掲載します。
 6月27日第3回口頭弁論が東京地裁立川支部で開かれました。傍聴には、お一人ですが来てくださいました。たった一人になっても徹底的にやる覚悟でしたので、千人力を得た気分です。感謝に堪えません。
 原告の請求していた証人(被告準備書面(1)で、原告が「言い間違えたかな」と言ったとされる人物)は不要とされました。「被告が必要ないと言っているので、誰であるかを明らかにしてくれないから採用できない」ということです。被告の言い分が絶対なのか、裁判長の訴訟指揮はそれでいいのかと思い、「それを判断するのが裁判長でしょ」と聞きましたが、「被告と原告の考えている人物が同じだという保証もない。」とのこと。そんなことはない、被告が指定した人物でいいのだ。原告はそれを望んでいるのだから。
 これだけ聞いていると、裁判長の頭の中は何が何だかわかりません。全くやる気がないとしか思えない。そうです、証人尋問をやる気はないのでしょう。裁判長の言っていることは、尋問はしないという結論ありきの口実です。
 怖れていたとおり本日で結審となり、判決は8月26日(火)午後1時10分、408号法廷です。判決言い渡しには「お越しいただく必要はございません。」ですと。もう来ないことを前提にしている言い分です。とんでもない、判決主文だけだとしても、(期待はせずに)本人の口からじかに聞いてやるつもりです。
 
皆さんもぜひ「不当判決」言い渡しにおいでください!
(2025.7.11)




   
原告準備書面(2)を提出

 音声データ消去事件訴訟につき、被告側からは準備書面(2)が出ましたが、前記のとおり、内容が繰り返しでしかないこと、原告が準備書面(1)で問合せたことにまともに答えていないことから、原告は、すでに提出した準備書面(1)に引き続き(2)を提出したところです。
 原告準備書面(2)はこちらからご覧いただけます。
 その中では、東大和市文書管理規則の特異性について指摘しました。同規則では、公文書(行政文書)の規定の他に「情報文書等」という規定を設けています(第2条8号)。その「資料文書等」とは、起案文書・供覧文書以外の文書、または常時利用する必要のない電磁的記録であって、保存期間を定める必要がないものとしています。このような規定は、公文書管理法・情報公開法にある公文書既定や近隣他市の文書管理関係法令には見られません。市はいろいろ理屈を並べていますが、情報公開法からの抜け道を設けたものと言えます。
 情報公開法によれば、公文書とは「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(中略)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」(第2条2項 中略は引用者)です。これを素直に読めば音声データが公文書にあたるものであり、期間を定めて保存すべきものとみるのが自然です。被告(東大和市)代理人は、本件音声データは「資料文書等」にあたるのと主張しているのです(これに対し原告は、電磁的記録(同規則第2条2号)にあたる公文書であると主張しています)。
 その根拠として持ち出したのが、市役所内で職員が利用している「文書事務の手引」です。しかしこれは前記のとおり市職員が利用しているだけのものであり、法的根拠に欠けるものです。さらに言えば、これは被告東大和市自身が作成したものであり、仮に同市文書管理規則にある「資料文書等」という規定を認めるとしても、本件音声データが「資料文書等」にあたる根拠として、被告みずからが作った「手引」をもってするなどということは、自家撞着です。準備書面にも書きましたが、「オレの言うことが正しいのは、オレが言っているからだ。」と言っているようなものです。

 ところが、乙1号証として被告から提出された「文書事務の手引」には、この他にも問題点がありました。それは、この「文書事務の手引」全体を東大和市に情報公開請求して分かったことです(被告が証拠として提出したものはその一部でした)。
 会議等を記録した音声データが「資料文書」にあたると、(同「手引」の中にある)「資料文書について」に書かれていると被告は指摘して、乙1号証「文書事務の手引」を提出してきたのですが、(善意に解釈すればですが、)そのことには微妙な点で(しかし重大な)誤りがありました。
 この「資料文書について」という文章は、「文書事務の手引」本文の中にあるのではなくて、「参考資料」として示されている中の一文書だったのです。しかもその出処すら書かれてはいません。二次的な資料としての価値さえないものだったのです。
 音声データが「資料文書等」であることの根拠として「文書事務の手引」を持ち出してきたことからして「的外れ」であったうえに、「資料文書について」が、同「手引」の本文にはない文章であったことは、被告の完全な失態です。このことは準備書面(2)の中で厳しく指摘しておきました。
 少しわかりづらいことかもしれませんが、ぜひ本文を読んで下さい。
(2025.6.20)

 こちらのページでは、東大和市役所総務部総務課における違法な音声データ(情報公開・個人情報審査会口頭意見陳述の音声記録)消去に係る損害賠償請求訴訟について、2025年6月20日以降の文を公開しています。
 
2025年6月10日以前のものは「音声データ消去事件」をご覧ください。
「憲章」その後
  東京地裁立川支部判決言渡し

 8月29日(火)東京地裁立川支部で、東大和市音声データ消去事件の判決言い渡しがあった。原告の証人尋問の申請に対し、被告代理人にその可否を問い、そのまま申請を認めなかったような裁判長であり、また、結審の際に「判決言渡しにおいでいただかなくても結構です」などと言うような人物の判決であるので、全く期待などしていなかった。予測に違わず、判決はひどいものだった。すでに述べたが、結審の際の裁判長の発言に対し上申書を提出していた。それにもかかわらず。入廷の時にひと悶着あった。

【開廷前のゴタゴタ】

 開廷5分前になっても法廷のカギはかかったまま。部屋を間違えたのかと思ったが、そうではなかった。開廷予定時間直前に書記官がやってきてカギを開ける。当事者は10分も前から来て待っているのに、この緊張感のなさ。事前に上申書を提出し、判決言渡しには出廷すると告げてあるのに、「入りますか?」とおっしゃる。「こっちは遊びて来ているんじゃない!」と思わず怒鳴り返した。彼ら裁判所関係者には、当事者のいない法廷で、アリバイ作りのように判決を読み上げる「しきたり」がしみ込んでいるのだ。
 裁判長は聞こえるか聞こえないかの小さな声で、「主文 原告の請求を棄却する。訴訟費用は原則の負担とする。」と読み上げた。こちらは怒りに燃えていたが、そのまま「裁判工場」となった法廷を後にした。

【判決文について】
 判決文は、裁判長のやる気のなささえ感じ取れる、たった3枚頁の簡素なものである。その主文と骨子は以下のとおり(判決文はこちらからご覧いただけます)。

 「主文 原告の請求を棄却する。訴訟費用は原則の負担とする。」
 判決には全く期待していなかったので、控訴状も(印紙と副本も含め)持参していた。しかし考えを改めた。控訴理由書を提出するのは控訴提起から50日以内(民事訴訟規則第182条)。控訴状は判決を受けた(送達を受けた)日から2週間以内に出さなければならないが、2週間以内に出せばいいともとれる(民事訴訟法第285条)。つまり控訴状を出してしまえば、当日から50日以内に控訴理由書を出さねばならない。控訴理由書提出を引き延ばせば、最大64日確保できることになる。
 今のぼくにとっては、1日でも余計に時間が欲しいところだ。そのような理由から判決言渡しの日に即控訴状を提出することは控えた。

 判決の内容は以下のようなものだった。
 本件音声データは、(東大和市)文書管理規則第2条2号の職務上作成・取得して職員が組織的に用いる電磁的記録に該当するが、本件陳述記録が作成されれば使用目的を終え、常時使用する必要のない電磁的記録として同条8号の「資料文書等」に該当することになり、消去しても違法ではないとしている。
 判決では音声データが同条例2条2号であるとは認めたものの、記録が作成された時点で一転して、同条8号の「資料文書等」に該当するなどとしている。蝶の羽化ではあるまいに、ひとつの電磁的記録が保持段階で法的規定を変えるなどというウルトラCを演じているのである。音声データが同条2号の電磁的記録であるならば、その時点で期間を定めて保存すべきものである。その違法性を突かずにこれスルーし、「資料文書等」という欺瞞的な隠れ蓑でこれを覆い、情報公開法逃れを許してしまっていることに気付かなければならない。
 判決はこのことに関して奇妙なことを言っている。
 「国の保有する公文書の中にも、保存期間を「事務処理上必要な1年未満の期間」と定めるもの (短期保有文書)があり、保存期間を定めずに用済み後速やかに廃棄することとは表現の違いにすぎない」(3頁4〜7行)
 判決文は、どの法律の何条に書かれているかも示さずに、このような主張をしている。仮に「短期保有文書」なるものがあったとして、それは文書の種類や所管する官庁によって異なるであろう。ましてや「保存期間を定めずに用済み後速やかに廃棄することとは表現の違いにすぎない」と一般的に述べることは聞き捨てがならない。
 「事務処理上必要な1年未満の期間」の保存期間と「用済み後速やかに廃棄すること」がどうして「表現上の違い」と言えるのか。保存期間を定めることと、それをせず用済みだからといって、ただちに消去してしまうこととは同じではない。裁判官の頭の中で「事務処理」と「用済み」を「記録作成後」と読みかえているからそうなるのである。しかし、保存期間を定めることの中には情報公開事務の処理も、当然として含まれねばならない。保存期間を定めるのはそのような意味もあり、そのことは川崎市教委音声データ開示拒否事件で原告勝訴の判決がとも矛盾する。
 そもそもこの判決では、原告が準備書面で示した、川崎市教育委員会の音声データ開示拒否事件における原告勝訴の東京高裁判決(令和2年6月24日東京高裁判決)、音声データの公文書蓋然性を示した最高裁判決(最高裁平成16年11月18日第一小法廷判決)などには一切触れていない。これらの事実と、音声データを「事務処理」後、ただちに消去してしまうことを合法化する同市文書管理規則の第2条8号「資料文書等」との整合性をどう説明するのか、判決には何も書かれていない。
 たとえ同法に違法性がなくとも、音声データをこれに当てはめることは前記判決と矛盾することは明らかである。この点に一切触れない判決は欠陥であると言わざるを得ない。
 この他にも原告は、東大和市の「資料文書等」という情報公開法逃れの規定が、近隣自治体の文書管理規法規には存在しないことを示したが、このことに対する言及もない。また、宇賀克也氏(元最高裁判事)著作も示し、音声データが公文書にあたるという記述があることも示したが、もちろん(?)この事にも触れた記載はない。
 2000年代以前ならともかく、これだけデジタル化した社会にあって、音声データが保存すべき電磁的記録ではないなどという主張は通らない。国でさえそれを認めている。しかるにこの判決は、東大和市という狭い区域内のみでの適合性(それですら根拠が薄いが、)を強引に示しただけであり、他を顧みて比較検討すらしようとしない裁判長の狭量さを示すものである。つまり、「視野狭窄」裁判長の一人よがりの作文でしかない。

 原告の被害についても、判決ではピントのずれた判断をしている。原告の指摘した口頭意見陳述記録の誤りは、その申立書面が審査会に提出されたことでその目的は達成され、陳述記録が訂正されなかったとしても、慰謝料を請求すべき根拠はないとしている。しかし原告は、陳述記録の元となる音声データが公文書管理規則に違反して削除されたために損害を被ったとしているのであって、原告の主張する訂正内容が審査会に提出されたからといって、回復されるようなものではない。つまり、ひとえに音声データが保存すべき公文書にあたるか否かで損害賠償の成否か決まるのである。
 この他にも、裁判長の訴訟指揮に対しての不信(原告発言と称する文言を用い、原告の誤りを想起させる=ミスリードともとれる被告主張に対し、原告は証人尋問を請求したが、被告の「必要ない」との意見を無条件で取り入れ、これを採用しなかった。何のための裁判長かと言いたくなる。)もあるが、ここでは割愛する。
(2025.8.28)