つれづれなる風 七の蔵




     

保存データ:2019.10.3〜2020.8.19


これ以降のデータは「つれづれなる風」に保存してあります。

憲章・条例に関するメモ

 東大和市子ども・子育て憲章への批判的な関心を持ったことで、他市の状況はどうのだろうと興味があった。これらのテーマに関して網羅的な内容をもつ書籍を探したが、それらしいものは見当たらない。
 とりあえずwebサイトさらってみた。「憲章」のみならず、子どもの権利条約に関する「条例」についても当たってみたのが(少ない例ではあるが)以下の一覧である。
※「……」以下は個人的な感想とメモ

【子ども子育て憲章関係を持つ自治体】
磐田市(静岡)磐田市こども憲章2015年?……家族・地域などへの共感 比較的丁寧な作成過程
高浜市(愛知)たかはま子ども市民憲章2003年……前文で子ども権利条約をうたい比較的まとも 
長浜市(岐阜)「長浜子どものちかい」および「長浜子育て憲章」2015年……ふるさと愛・誇り 東大和市のひな形
白老町(北海道)しらおい子ども憲章〜ウレシパ(育ち合う)2014年……地域の自然・歴史・文化の尊重 東大和市のひな形
志木市(埼玉)志木市子育て憲章2000年……家族・地域などへの共感
岡谷市(長野)おかや子育て憲章2002年……短く簡素 郷土愛
合志市(熊本県)合志市こども憲章2010年……郷土を大切に
徳島県(徳島)徳島はぐくみ子育て憲章2016年……大人のつとめ 男女共同など見る面がある
町田市(東京)町田市子ども憲章1996年……いのち・差異を認めるまともな内容
京都(京都)子どもを共に育む京都市民憲章2007年……大人のつとめを明記
八千代市(千葉)八千代市子ども憲章2001年……文化や伝統 世界との交流も
三鷹市(東京)三鷹子ども憲章2008年……郷土愛 文化と伝統
越谷市(埼玉)越谷市子ども憲章1998年……きまり 礼儀
高崎市(群馬)たかさきこども憲章2010年……伝統 文化
藤岡市(群馬)藤岡市子ども憲章2004年……郷土の歴史 家族し

【子ども条例を持つ自治体】
岩倉市(愛知)岩倉市子ども条例2009年……子ども権利条約を1条でうたい、市の義務なども定めている。
西東京市(東京)西東京市子ども条例2018年……市・保護者の責務を明記
調布市(東京)調布市子ども条例2005年……市・大人の責務を述べる
豊田市(愛知県)豊田市子ども条例2007年……子どもの権利、市・施設・市民の責務
日野市(東京)日野市子ども条例2008年……子どもの権利・市の責務
郡山市(福島4)郡山市子ども条例2018年……市・事業者・学校・市民の責務
三重県(三重)三重県子ども条例2011年……県・市町・学校関係者の責務をうたう
倉敷市(岡山)倉敷市子ども条例2012年……大人の役割に言及しているものの、「子どもの主体性」と言いつつ子どもにつとめを求めているなどの問題もあり。
筑紫野市(福岡)筑紫野市子ども条例2011年……子どもの権利・市の責務をうたう
目黒区(東京)目黒区子ども条例2002年……子どものことよりは市の施策・役割中心の傾向あり
名古屋(愛知)なごや子どもの権利条例2008年/2020年改正……市・保護者・地域住民の役割
改定では「子どもの権利の制限」・「責任」などの語句を除き、子どもが権利の主体であることを明記した
旭川市(北海道)旭川市子ども条例2012年/2017年改正……大人・保護者・地域住民の役割が先行傾向

 憲章は全体的に短く、ひとめで理解できるようになっており、条例は語句の既定から各条文に至るまで事細かく定められている。もともと憲章がおおまかな目標を定めたものであり、「条例」が法律に使いものであることを考えればこれは当然のことといえる。
 やはり、憲章と比べれば条例のほうが先進的であることは予測通りだった。もちろん条例だからと言ってすべてが問題ないわけではない。疑問を感じるものもある。子どもの権利をとなえながら、子どもにつとめを求めているもの(倉敷市)や、行政の施策や組織のきまりごとにウエイトがかかりすぎているもの(目黒区)などである。また、子どもの権利について改正した例(名古屋市)などもある。
 いっぽう憲章については東大和市のそれをはじめ、問題を感じさせるものも多いが、反面、条例に近い内容を持つもの(高浜市・町田市)もある。
 憲章は条例に比べると、子どもにも大人にも責務を求めるものが多い。また、郷土・家庭への誇りや愛情への接近・強調を示すものも少なくない。

 このことが、2000年代に入ってからの現政権による超国家主義的な支配の強化と関連があるとは断言できないが、少なくとも以下のような時代的な背景が影響はしているだろう。多くの憲章が2000年代に入ってから制定されていることからも関連なしとは言い切れない。
  2002年「心のノート」配布
  2006年教育基本法改悪
  2015年道徳の教科化
 いっぽうで、条例も2000年代に入ってから制定されている。これは子どもの権利条約の日本での発効が1995年からであることと直接関連する。

 憲章にするか条例にするか、憲章の内容が子どもの権利条約に近いものとなっているか否かという問題は個々の自治体によって異なるが、少なくとも、その地域に活発な市民動があるか否かにも依っているのではないかとも思われる(具体的な事実として確かめたわけではないのであくまでも仮説でしかない)。その運動とは、教育や子どもの権利をテーマとするものに限らない。環境問題・平和問題・労働問題など、主体的で自立した活動であるかどうかによる。地域に根差した活発な市民運動があれば、自覚的な市民は憲章や条例の成立に影響を及ぼさないわけはない。
 残念ながら、東大和市においてはそのような運動がなかったか、弱かったかということになる。すでに条例や憲章がある地方自治体、まだ成立していないそれについても同じことが言える。
 憲法が国民に保障する自由及び権利は「国民の不断の努力」(12条)によると同じように、市民の自覚と努力は地方自治体についても言えそうである。
(2020.8.19)

※上記のことをgooglefom「『東大和市子ども・子育て憲書』反対署名にご協力を!」にも書き込んだ。



ネット署名

 ネット署名というものがある。インターネットの世界に詳しいわけではないが、Change orgというのが多く出回っているようだ。他にはgoogleフォームというのもある。どちらも一長一短があるようだが、そもそもネット署名がどれほど有効かということになると、懐疑的ではあった。
 先行者に伺ってみると、やはりその実効性には限界があるようだ。議会に対する陳情・請願の類や行政に対する請願や直接請求に関してはそもそも受け付けてもらえそうにない。それを承知でやるからには、数を頼りに、圧倒的な政治力にしてぶつかるしかない。
 と口で言うのは簡単だが、その数を集めるというのが意外に難しい。ネット署名だから気軽に始められるけれど、署名してもらうからにはそれなりの説得力がなければならない。それにもまして、先ずは多くの人たちに署名のことを知ってもらわなければならない。そのためには何かのきっかけで大きく取り上げられ、世間の注目を浴びる必要がある。
 ももともと署名内容の注目度が高く、マスコミの報道があったり、著名人の参加があったりしたために、膨大な数の署名があつまり、大きな成果をあげた例もある。しかし、それらはあくまでもネット署名の一部で、その他多くのネット署名は、インターネットの大海にもまれて沈み込んでいくしかない。

 無謀にも、このネット署名というものに手を出してみることになった。
 きっかけは、森友問題などに関わっていた方とのお話だった。検察当局の政権寄りの姿勢が我慢ならないとして、その話題作りのため、ネット署名を始めたいという意向を持っているとのことだった。その場では、上記のようなネット署名の現状をお伝えして、今後役に立てればということで分かれた。しかしその後、これは「子ども・子育て憲章」反対でも使えるのではないかと思い至った。
 ほとんどの市民がそんな憲章ができるということさえ知らないなか、市長が市議会に提出した「子ども・子育て憲章」は、市議会で審議・採択され(一方の反対陳情は、議会での審議さえされないまま放置され)、9月の市制50周年式典で発表される段取りになっている。残された手段は、多くの市民にこのことを訴え、市民にとってこの憲章が望ましいものではないということを広めるしかないのだが、現実的に憲章を撤回させることはできそうにない。
 陳情が市議会で取り上げせれなかったという点について裁判で追及していくこともできないわけではないが(勝訴できる明確な見通しもないが)、憲章そのものの撤回には直接結びつかない。そんな中、ネット署名がとても魅力的に見えたことも事実である。

 試しにいろいろと作ってみた。先ずはgoogleフォームでやってみる。こちらは純粋な(?)署名サイトではないので、いちから手作り感覚である。画像も貼り付けられる。何度も手直しして、何とか形のあるものに仕上げることができた。
 次にChange org。こちらは署名サイトなので、流れはスムーズだ。先ずはアカウントを作ってから取り掛かる。原稿はほとんどgoogleフォームで作ってあるから楽だった。それでも操作の手順や、署名の集約などはどうやってやるのかわからないまま取り掛かる。やっていくなかで自然にわかって来るだろうと楽観的に構えていた。
 Change orgでは、署名し終わった段階で出る寄付の求める画面が出る。このことは他の署名活動に応じて名前を記入したことがあるから知っていた。
 「子ども・子育て憲章」の場合、そもそも寄付など求める気も、筋合いもない。しかし、これはシステム上勝手に表示されるらしい。署名をお願いするときに、「カンパ不要」と断ればいいことだと思い切った。
 出来上がった「作品」をアップする。アップしてからカンパのことを書き加えようとしたが、しかし時すでに遅し。いちどネットにアップしたものは修正できないらしい(方法はあるのかもしれないが、今の自分の知識ではわからない)。否応なくChange orgでネット署名を始めることになってしまった。
 こうなったら、あとはできるだけたくさんの署名を集めるしかない。知り合いにメールを送ってお願いして回る。もちろん、そんなことだけではたかが知れている。はじめに書いたように、何らかの契機がなければ、爆発的に広まることなどありえない。燎原の火のごとく広がるか、ボヤで終わるか(後者におわる可能性は極めて高いが……)、あとは運を天に任せて、今自分にできることをするしかない。

※以下のサイトからChange orgに移れます。よろしかったら署名お願いします。
 「東大和市子ども・子育て憲章」反対署名

(2020.7.29)



陳情は2度殺された(市議会傍聴記)

 2月3日付「チコちゃんに叱られそう!」で書いた「東大和市子ども・子育て憲章」の続きである。

 先に「あれは教育勅語たよ!」と喝破された方と共に、3月市議会に同憲章の見直しを求める陳勝を提出することになった(ここまでに至る経緯は割愛する)。また、この陳情に賛同してくださった62名(提出期限後にも、さらに10名の方が賛同の意志を示された)の方の署名もいただき、陳情提出者に加えた。
 この後の流れを追うと次のようになる。
2月14日午前 東大和市子ども・子育て憲章の見直しを求める陳情を東大和市議会事務局に提出
       ※後日分かったことだが、同じような陳情が市外の方からもう1本出されていた。
   同日午後 議会運営委員会(以下「議運」)
        憲章関係の議案について、以下のように決まる。
        @東大和市当局から提出されていた東大和市子ども・子育て憲章を(委員付託することなく)21日の本会
        議で直接審議採決する。A子ども子育て憲章の見直し陳情は@の後、当日の議運で扱いを審議する。
        ※ここですべての流れ(市当局提案可決→陳情不審議)が決まってしまったことになる。結果的には同じ
        でも、市民の陳情を尊重する姿勢があれば、先に陳情審議、後に市提出の憲章案審議の流れでなければな
        らない。
2月21日   本会議
       傍聴は私を入れて3名。市提出の子ども子育て憲章の採択が決まる。見直し陳情は運営委員会に付託され、
        本会議をいったん閉じ、直後開かれた議運で審議。結果、議長預かりということが(慣例に反して)多数
        決 で決定(共産党・やまとみどりの2議員が反対)。再開された本会議で、議長預かりとなったことが報
        告される。
3月6日午前 市議会応接室で東大和市議会議長と面談(陳勝提出者2名と市民2名が参加)
       議長預かりになった経緯と、今後の使いについて糺す。議長は議運の決定に従って審議をすすめたと主張。
(コロナ感染拡大で4.12に予定していた報告会も開けず、報告は後日メール・郵便で行う。)
5月1日   市議会だよりが新聞折り込みで配布される。
       子育て憲章見直しの陳情のことは紙面のどこにも掲載されず。
5月15日   広報委員会(市議会だよりの編集責任者)の正副委員長と面談
       市議会応接室にて(陳情提出者2名と賛同者1名)。
       「市議会だよりについて」という内規の文章に、市議会だよりに掲載する陳情要旨の「原稿は『陳情文書
       表 』を用いて作成する」(内規文書より)とあることに従って掲載しなかった主張。
       ※あくまでも「陳情」ではなく「陳情の要旨」であることに注目。ちなみに、陳情文書表とは、市議会での
       審議のために陳情文書を綴じ込んこんだもの。
5月27日  広報委員会正副委員長と市内の珈琲店(場所は相手方希望)で面談(私とを含む市民2名が参加)
       次号市議会だよりで陳情提出の事実の再掲載と、このたびの不掲載に関する謝罪の掲載を求めた私たちの要
       請書(5.15に提出)について、改めて拒否回答が示される。
5月28日  市議会だより掲載基準の見直しを求める陳情を議会事務局に提出
       ※他に、子ども子育て憲章の見直しを求める陳情が市内・市外から2本提出されていた。
6月5日午前 子ども子育て憲章見直しの陳情提出者が厚生文教委員会(以下「厚文」)委員全員に陳情について説明
    午後 市議会応接室で議運正副委員長と面談、議会だより掲載基準見直しの陳情について説明。議運全委員にも説
        明したい旨伝える。
6月9日午前 厚文
       陳情提出者2名と市民2名が傍聴。反対討論はなかった(??)が賛成少数2(共産・やまとみどり)で不
       採択
6月10日午前 議運開会前に、委員会の全議員にこの間の経過と陳情の中身について説明(詳しくは本文参照)
       議運
       傍聴は私を入れてA名。議運では短い質疑応答の後、共産党議員による緊急動議(広報委員会に付託し意見
       聴取する)が提出され、その方向で決する。
6月12日午前 本会議
       子ども子育て憲章見直しの請願・陳情は、審議の結果、賛成少数(7=共産3・やまとみどり3・生活者
       ネット1)で、不採択となる。議会だよりの掲載基準見直しは継続審査となったことが議運委員長より報告
       された。

 と、ここまでがこれまでの経過、以下が、12日の本会議の様子である(実はこの本会議を傍聴できたのは全くの偶然にすぎない)。※掲載にあたり固有名詞(人名)は伏せました。以下も同じ。
 「続・市議会傍聴記」と題して市民の皆さんにお知らせした文書かをそのまま張り付ける。
***************************************************************************************************
続・市議会傍聴記

 市議会とは時間のかかるもの、とは今回改めて知ったこと。
10日の議会運営委員会(以下「議運」)で広報委員会での意見聴取ということになり、継続審議とされても、普通の市民感覚から言えば、以下のように考えてもおかしくはないだろう。今会期中に広報委員会を開催・審議をし、直ちに議運に上程すれば、採択・不採択に関わらず、今会期中に結論が出るはず。……そう思い込んでいたのは、どうやら間違いであったらしい。
 私が短気なのか、議会の常識を知らなかったせいなのか、とにかくチャチャっとやればすぐ結論が出るものと考えていた。ところが「継続審議」ということは、今会期では審議せず、次回の市議会までお預けということ。だから広報委員会も急いでやる必要はなく、次の市議会までに検討すればいいということである。市議会は大切なことを決定する場であり、議員のセンセイ方は調査・研究しなければならないことが膨大で、そんなに即決で決められるものではないのだよ、と言われかねないが、議員の仕事はそんなに忙しいのかと本気で思ってしまう。

 間違いに気づいたのは議会事務局に電話してからのことだ。
 傍聴や意見表明する心づもりで、次の広報委員会はいつだ、広報委員会の意見聴取を受けて再度開かれる議運はいつか、と聞いても、「まだわからない。決まっていない」との返答だけだった。今となってはそのことが理解できないではないが、その時は「何もたもたやってんだよ!」との実感しかなかった。
 さらにその議会事務局長からの連絡で、期日については広報委員会委員長に電話して聞いてくれと言われ、本人に電話した。すると7月7日だという。「えっ、えっ、しっ、し・ち・が・つ?!」 即座に「もっと早く開けなの?」と(今から考えればマヌケなことを)聞いた。「市議会議長にも了解を得ている」とつれない返事。意見表明の機会については、「委員の皆さんの意見も聞いて……」と、この委員会ならではの主体性のカケラもない回答。そして私はと言えば、電話を切ってから上記の事情が分かったというオソマツ。オソマツではあるが、これが市民の実感ではないのか。弱肉強食の資本主義社会で生息する企業であれば、こんな調子でやっていたらとっくに食いつぶされているだろーに。
 ここまでは市議会傍聴後のこと。

 市議会の傍聴は意図的・計画的に行ったわけではない。たまたま市役所に用事があって出かけ、別の要件で議会事務局に顔を出したら、本日の本会議で、(厚生文教委員会で不採択となった)子ども子育て憲章見直しの2本の陳情が審議されると分かった。もう少し付け加えると、市役所入口で市議会議員とすれ違い、「傍聴ですか?」と言われたことも影響している。
 9日の厚生文教委員会(以下「厚文」)、10日の議運を傍聴したことはすでにお伝えした。その時、陳情・請願が審議される本会議の期日を聞いていなかった(後に判明したことだが、別の方からの問い合わせに、議会事務局長は「期日は、当日お渡しした議事資料に記載されていた」と答えたとのこと。しかしその資料は、傍聴終了後回収されてしまった)。つまり、子ども子育て憲章関連の請願・陳情を提出した私を含む3名は、本日の本会議でその請願・陳情が審議されることなど全く知らなかったことになる。
 私はあわてて別の2人に電話で知らせたが、審議は順調に(?)進みすぎたため、結局傍聴を果たしたのは私ひとり。あとの2人は傍聴の機会すら奪われた。どうも東大和市議会事務局には、そのあたりのスケジュールを知らせる決まりや約束事がないらしい。本来なら、そんなものがなくても、みずから気を回わして知らせるべき内容だろう。東大和市議会にはそんな性善説は成り立たないようだ。
 採決の結果だが、賛成討論は共産党議員がしてくれただけで、反対討論もなく、賛成7(やまとみどり3・共産党3・生活者ネット1)で不採択となった。何とも精彩に欠ける審議・採決であった。

 まったくうかつな話だが、自分の出した陳情(東大和市議会だより掲載基準についての見直しを求める陳情)に関する報告もこの本会議でなされたようだ。「ようだ」というのは傍聴を終えてからのこと。改めて議事日程なるものを見たら、「第11 閉会中の継続審議について」というのが最後にあったので、それと気づいた次第。
 残念ながら、陳情の不採択が決まった多段階で退席してしまったので、この報告は聞き逃した。もっとも、聞いたところで何がどう変わるわけでもない。議運委員長が淡々と読み上げるだけだったろう。

 傍聴はたまたま実現したに過ぎないが、肝心の自分の提出した陳情にこれから触れられるといったところで、あえて退席して聞き逃すなど、自分のマヌケさをさらした半日であった。それをわざわざここで晒したのは、「盗人にも三分の理」ではないが、「マヌケにも一部の理」ぐらいがあることを信じているからにほかならない。
***************************************************************************************************
 少し長くなったが、これまでが「東大和市 子ども子育て憲章見直しの陳情」を提出してからの経緯である。まだまだ終着駅は見えてこない。
(2020.6.14)



黒川の辞任

 今年(2020年)1月、安倍内閣は、閣議決定だけで東京高検検事長である黒川弘務の定年を半年間延長した。そのこと自体違法性の強いものだが、安倍政権に近いといわれる黒川を検事総長に据えるためのご都合主義的なものであった。そのことを後追いで正当化するために仕組んだのが検察庁法改正法案。国家公務員法改正とともにまとめて成立させようとしていた。
 検察庁法改正案は国民の強い反発があり、SNSなどでも著名人をはじめとして多くの投稿があって反対の機運は盛り上がっていた。
 ぼくはこの盛り上がりに対してツイッターで以下のように書いた。
   #検察庁法改正法案に抗議します
   これが今トレンドになっているという。
   日本もまだ捨てたものではないと思う反面、危うさも感じないではない。いっときの流れより、持続する志にこそ力があり、価値もある。トレンドになるというパワーと持続的な取り組みは、いったい両立するのだろうか。

 しかしぼくの危惧とは裏腹に、ネットの世界では「#与野党こえて検察庁法改正を止めよう」のハッシュタグを付けた投稿が、5月18日午後五時時点で14万件を超えたという(東京新聞)。コロナ自粛で抗議行動に行くことにためらいがある中、そのはけ口になったともいえる。

 15日にはついに国会前での緊急抗議行動が呼びかけられた。19日18時から国会前で「安倍政権は1000万の民の声を聞け!検察庁法改定反対!権力私物化許さない!安倍政権退陣!5・19緊急国会議員会館前行動」が計画された。主催は憲法9条を壊すな!実行委員会、平和をつくり出す宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会など。
 持病もあり、最近では歩くのもしんどい状態なので、往復の公共交通機関を含め、人込みは避けたい。しかし、じっとはしていられない。せめて日中の人だかりの少ない時に首相官邸前で抗議の意思表示をしようと、前日からプラカードを用意していた。
 明けて19日午前中、自民党が今国会での検察庁法改正案の今国会成立断念したとのニュースが飛び込んできた。思わず「やったー!」と心の中で叫んだ。それでもにわかには信じられなかった。昼頃になってそのニュースは間違いないということが分かった。

 1日空けて21日、今度は件の黒川東京高検検事長の賭けマージャンが週刊文春で報じられた。
 どのような経緯で明るみに出たのかは分からないが、安倍政権が法律無視のごり押しですすめた定年延長の対象者だ。「余人をもって代えがたい」とした人物の違法行為、官邸や所管の法務省がどのような対応をするのかが注目されたのは言うまでもない。
 黒川検事長は事実関係を認め辞表を提出、翌22日森法務大臣は文書訓告という軽い処分の後に辞表を受理した。これでことが治まるなら、日本はもうお先真っ暗だ。一国の法を預かる役所の職員が、なかんずく違法行為をした国民を処罰対象とすることを職務とする検事、かつその長たる者が、こんな軽い処分で済まされるとは。国民がこのことに対して声をあげないとしたら、もう日本はおしまいだ。一般市民の感覚からすれば、懲戒免職どころか、起訴されるべきところを「法にのっとって厳正に処分」でよろしいのか。
 ぼくは先例に倣って次のようにツイッターに書いた。
   #黒川はクビ安倍はヤメロ
   黒川の辞表が受理され、訓告という軽い処分で済まされた。
   そんなあほな、懲戒免職だろう。
   黒川の定年延長をごり押しした安倍も辞めるべきだ。
   法務省に抗議の電話を入れよう。
   電話番号は03-3580-4111。
   黒川はクビ! 安倍はヤメロの大合唱を巻き起こそう!!

 知り合いにもメールやラインで同じメッセージを送った。
 もちろん法務省にも抗議の電話を入れた。今度も(大阪地検の時と同じく)電話はあっさりとつながった。回線が抗議の電話でパンクしているのではないかと心配したのだが、杞憂だった。
 はじめに苦情担当につながり、話にならないので、人事課に電話を回してもらった。「辞表は受理したのか、訓告はないだろー」と追及したが、「よく承知しておりません」と他人ごと。
 「承知してないなら森に電話を回せ!」と注文付けたら、電話対応をしたやつが森という名前だったというオチがついた。それでも佐川の時に大阪地検に電話した時とは違って、抗議の電話はひっきりなしに入っているらしい。後ろで電話のコールが聞こえていた。このコールが全て抗議のそれだといいのだが……。
 上司を出せと言っても「しっかり共有します」とほざくから、「共有じゃないよ、上申だよ」と言って電話を切った。

 激動の1週間はまだ終わっていない。この勢いで安倍政権が倒れることに力を尽くしたい。
 これを読んでくれているかもしれないあなた、ぜひ法務省に抗議の電話を入れてください。
(2020.5.22)



チコちゃんに叱られそう!

 元文部次官の前川喜平氏の講演会に出かけた。その帰り際、知人から声をかけられた。何やらお怒りの様子。どうも東大和市の「子ども・子育て憲章」(添付します)の内容についての不満らしい。「あれは教育勅語だよ!」とおっしゃる。とてもじゃないが、そのテンションにはついて行けないような風情。それでも、憲章の全文のコピー(といってもA4横1ページ)を頂いてきた。
 いつもボーッと生きている自分には、その批判のなかみがピンと来ない。憲章の文面は至極もっともなことが書かれてはいる。ほとんどの人たちは皆このように感じるのではないかとすら思った。
 しかしだ、うちにもどってじっくりと読み直してみたら、だんだんと気味の悪さが膨らんできた。同時に先のご仁が言っていたことの意味が理解できるようになった。きっと自分は人より感受性が鈍いのだろう。事象を芯で受け止めるまでに時間がかかるのだ。
 こんなことではチコちゃんに叱られてしまいそうだ。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」

 「東大和市 子どもと大人のやくそく(東大和市 子ども・子育て憲章)」(右画 ※クリックすると別ウィンドウで拡大表示されます)、読めば読むほど、こんなものは無くていいと思うようになった。確かに、一見すると至極当然なことが書かれている。だれにも反対がしにくいような内容、だからこそ気持ちが悪い。

 戦前まで幅をきかせていた、そしてまた現政権のもとで復権させようという策動がみられる教育勅語というものがある。

(前略)爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦 相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博 愛衆ニ及 ホシ學ヲ修メ業ヲ習 ヒ以テ智能ヲ啓 發シコ器 ヲ成就シ進 テ公 益 ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵 ヒ一旦緩 急 アレハ義勇 公 ニ奉シ以テ天壤無窮 ノ皇運 ヲ扶翼 スヘシ(後略)

(以下現代語訳 ※『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦むつび合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだつて気随気儘きずいきままの振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習って知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

 教育勅語から天皇制の要素を取り除けば、いかにも当たり前のことが書かれているように見える。しかし、その部分にこそ天皇制を支える家制度(家族国家観)の根源が示されている。
 そもそもこんなことを官報で告示する必要があるのかという代物である。天皇主権の君主制である大日本帝国憲法のもとでこそ存在しえた定めである。日本の敗戦後定められた主権在民の「日本国憲法」のもとでは、当然のことながら廃止された(1948年)。

 「東大和市 子ども・子育て憲章」は地教育勅語と同じだと喝破した先のご仁を改めて見直した。確かに「憲章」には教育勅語に通底するものを感じる。そして、この憲章とやらに不気味さ、居心地の悪さを感じているのは、たぶん私と件のご仁だけではないだろう。

※後日、東大和市役所に問い合わせたところ、次のようなことが分かった。
 「東大和市 子ども・子育て憲章」はまだ正式に制定されているわけではないが、すでにアンケート・市民説明会・パブリックコメントが終了しており、2月の定例市議会で採択されるまでになっている。可決されれば今年9月の「市制50周年記念式典」で発表予定である。
(2020.2.3)



抗議行動顛末記

〈初めに〉

 これは、小平市中島町にあるごみ処理場問題に対してとった行動の(仲間に対する)報告である。
 すでに「街をわたる風」(2019.9.24)にも書いたが、地元3市(小平・武蔵村山・東大和)と一部事務組合(3市が共有している組織)がすすめている新ごみ焼却場建設(これには、半ば強行に建設された「廃プラ施設」も含む)の用地選定から建設の進め方に対し、周辺住民からも疑問の声も上がっていた。
 新焼却施設に関してはすでに計画も定まり、業者の入札も進められようとしている今、そもそもの用地選定に異議を申し立てることなど無謀ともいえる。しかし、今声をあげなければ中島町を含む周辺地元住民には反対の声など無かったことにされてしまう。そのような危機感からとった行動である。
 一部事務組合である「衛生組合」の管理者、小平市長がごみ処理場のある同市中島町を「タウンミーティング」と称して訪れる。これをそのまま見過ごしてはならない。ここで何も意思表明しなければ、中島町にさらに新ごみ焼却施設を作ることをみなんが認めたことになる。そうではないのだということを示すことが必要だった。
 「タウンミーティング」数日前に、中島町の住民に対して以下のようなチラシ(クリックすると別ウインドウで拡大表示されます)を仲間と配布した。戸数にして約900戸、そんなに多くはない。新ごみ焼却場建設の問題点をいちばん知ってもらいたいのが当地の住民で、自身の問題として考えて欲しかったからだ。
 外から見る限り、諦めきっているか、当たり前のものとして受け入れてしまっているかのどちらかではあろうが、できれば中島町の住民からの参加が欲しかった。しかし、残念ながら当日それは実現しなかった。
    
 
 このような経緯のもとに実行し、仲間に報告したのが以下の文である(※今回の掲載にあたり一部手を加え、「報告」では触れなかったことも書き加えてある。また、一部固有名詞を匿名にした)。

**************************************************************************
 1月26日、朝起きると雨だった。多少の雨でもミーティングはやると小平市役所の担当者は言っていたので、出かけるしかない。それにみんなに呼びかけたてまえ、「雨だからやめました」では済まない。とはいうものの、雨の中、抗議のプラカードを持ち続けるのも、ビラを配るのもきつい。プラカードは防水対策をしたけれど、ビラの受け取りは悪いだろうし、できれば止めたい気持ちになってしまうのは正直なところ。
 しかし8時過ぎると雨も小降りになり、9時ごろには上がっていた。これで中止にする言い訳はきかなくなかった。自転車にまたがり薬用植物園をめざす。9時30分前には薬用植物園に着くが、気温はまだ低い。

 しばらくするとビラまきをお願いした人がやってくる。前後して市役所の職員らしき人たちも登場。彼らは首から名札のようなものをぶら下げているからよくわかる。市外の者でも参加できるのか尋ねたら、できると言う。意外な答えに、これは脈があるかなと喜んだのだが……。
 その後、なんと衛生組合のK氏とI氏まで現れた。なぜ来ているのか聞いたら、チラシ(数日前に中島町に配ったもの)を見たからとのこと。抗議行動に参加するためとは冗談でも考えられないから、当然対策要員か市長の露払いだろう(その本当の目的は後になって分かった)。
 他の仲間の2人も到着。とりあえず、「中島町のごみ処理施設 固定化反対! リスクの公平負担を」という小さなプラカードを首から下げる。相次いで小林市長も登場。こちらから近づいて行ってチラシを渡そうとしたが、もらっているからいらないと言う。誰からもらったのか聞いたのだが「そんなことはどうでもいい」と無視。組合の誰かからか、はたまた別の第三者か。市長は私の胸のスローガンを見たはずだが、平静を装ってタウンミーティングの意義などをとうとうと話す。しかし直情的な反応を示さなかったので、冷静な話が出来る人物かと思ったのはそこまでだった。

 小平市職員の音頭で参加者が集まり、市長の話と説明があった。この時は用意した大きな(と言っても模造紙大)プラカードを広げていた。市長はここで豹変した。「プラカードをヤメロ、不愉快だ!」「デモ行進だと思われる」「東大和市の住民は私を選んだわけではないから関係ない」「主催者は私だ!」表現は正確ではないかもしれないが、おおむねこのような感情的な表明だった。
 これに中島町の一住民が「これはタウンミーティングだからヤメロ」とこれに反応した。こんなことはあり得るだろうと予測はしていたので、ショックではなかったが残念なことではあった。
 こちらも「新ごみ処理場にはいろいろな意見があるのだ」「それぞれ様々な見方をする人はいるのは当然」「東大和市も処理場の影響は受けている」「勝手にやらせてもらう」と言ってもの別れ。
 とは言っても、植物園の中での見学までプラカードを掲げてついて行くつもりはなかったので、園内の広場で待機。しかしだんだん寒くなってきた。ただ立ち尽くしているだけだと体温を奪われるのみだ。ふと見ると正面に温室があるではないか。これ幸いと同行の士と温室に逃げ込む。
 室内は甘い香が満ちていて、さすがに暖かい。外と比べるとまるで天国と地獄だ。あとでボランティアのガイドから教えてもらったのだが、その香りの正体は「ヤコウボク」という植物の花だった。その名のとおり、夜になると花が強い香りを発するらしい。その名残だったわけだ。他にもいろいろと植物の名前や知識をご披露いただいた。
 このガイドさん、中島町南に隣接する立川の住民であった。ごみ処理場のことに話しを向けると、煙突の煙のせいか、まれににおいを感じることが降ると話していた。「でも私はあるのを承知で移ってきたのだらねぇー」とあきらめモードではあった。

 そのうち外の植物園の見学に出かけていたタウンミーティングの連中も温室に入ってきた。私がついて行ったわけではなく、連中が勝手にやって来たのだからプラカード云々と言われる筋合いはない。市長もさすがに文句は言わなかった。
 温室を出た後は、別室の写真展示室へ。これで薬用植物園の見学は終了。ガイドさんにお礼を言って植物園を後にする。いよいよ市長いうところの「デモ行進」だ。
 松の木通り(野火止用水上の散策路、通称「思惟の路」、とは玉川上水から野火止用水が分流するあたりにあった掲示。しかし今回は「示威の路」だ。)を「こもれびの足湯」まで歩く。しかしこちらは自慢ではないが心不全状態。皆の歩く速度について行けず、どうしても遅れがちになる。それでもけなげにプラカードは降ろさず、何とか足湯にたどり着く。

 しかし足湯でもひと悶着。K氏とI氏が中に入るならプラカードをしまえと言う。「ここは誰でも入れるのだろう」と問い返すと、「ここは組合の所有地だ」として体を張って入場を拒む。特に強硬だったのがK氏。彼は背も高く心不全の自分にはとてもかなわない。
 彼ら2人がタウンミーティングに参加していた本当の理由がこれだったのだ。事前の情報が漏れていて(隠していたつもりもないが、)対策を検討していたのだろう。なんと姑息なことか。本来であれば自由に立ち入れるはずの場に、プラカードを持っているというだけで規制する(プラカードを掲げていることも事前に承知していたことになる)。まるで国会(だから許される訳ではないが)ではないか。そのための要員としてK・I両氏が(狩り出されたのか、自ら志願したのかは分からないが)「出演」したのだ。
 「まるで警察だな!」「市長の犬か!」と憎まれ口をたたいたが、入場かなわず、敷地外でプラカードを掲げ続けた。みんなは足湯に使ってホッカホカなのに、ひとり冷たい路上で立ち尽くす羽目になる。今度は温室などあるわけもなく、足踏みしながら寒さをこらえる。
 たまたま近くにやって来た中島町の住人がいたから、何でこんなことをやっているか説明する。彼は元都教組の組合員で話題も共通することが多かった。しかし処理場のことはあまり気にはしていないようで、むしろコミュニティーバスが中島町の路地まで入ってこないということを市長に訴えるために来ていたようだ。

 時間になったのか、市長お迎えの車がやって来た。最後までプラカードでお見送りしたが、(植物園でのボランティアの説明も含め)いろいろと勉強にはなった(※このことをお伝えしたくて書きだしたということもある)。
 東大和市駅までの道すがら、タウンミーティングに参加していた「れいわ新選組」を応援しているという女性と話す機会があった。彼女にもビラを渡して、こちらの主張を伝える。市長に何なにか訴えたいことがあってとなり町から来たらしい。ミーティングの最中は皆さんと一体化していたが、皆がみな市長の取り巻きではないらしいということが判明して少しは救われた気持ちになった。
(20201.27)



ドイツ首相メルケルの演説

 今年になって早々、知人からアウシュビィッツにおけるドイツ首相メルケルの演説(2019.12.6)の動画がメールで送られてきた。これ見て多くの人は日本の、とりわけ安倍首相との対比を思い浮かべるだろう。


【アウシュビィッツにおけるドイツ首相メルケルの演説(2019.12.6)

 私もこの動画を心ある人たちに見てもらいたく、メールで拡散し、SNSでも発信した。以下はそこに記した短文である。
 *****************************************************************
 ドイツ・メルケル首相のアウシュビィッツでの演説(2019年12月6日)です。
 15分余りのこの動画は様々なことを考えさせてくれます。
 そしてわが国との違いも鮮明に際立たせてくれます。
 安倍晋三という首相を頂く日本の不幸を思わざるを得ません。

 今日はまさに、津久井やまゆり園の惨事を引き起こした植松被告の初めての裁判の日です。
 メルケル首相の演説は、この事件・裁判をも思い起こさせてくれました。
 *****************************************************************

 戦争犯罪者を自分の手で裁くことをせず、戦争最高責任者さえもが不問にさせられていること。極東国際軍事裁判でA級戦犯になった男が総理大臣にしてしまう異様な構造。侵略戦争の精神的な支えとなった国家神道の総本山靖国が戦後も継続してその役割を担っていること。国会議員として、政府の要職者としてその靖国に参拝する歪んだ光景。侵略の過去と真摯に向き合わないばかりか、歴史修正主義的な主張を繰り返す恥ずべき姿。正式な謝罪をすることなく経済的な援助(という名の経済侵略)によって「完全かつ最終的な解決」(日韓基本条約)を喧伝し、従軍慰安婦問題では「最終的かつ不可逆的な解決」を声高に主張する不道徳な姿勢。
 何から何まで正反対といえる日本の姿を誰もが思い浮かべたことだろう。私もそうだった。しかし同時に、(メールなどにも書いたように)津久井やまゆり園の惨事と、その当日から始まる裁判(1月8日)のことが頭に浮かび、それがだんだん広がってきた。

 メルケル首相は加害者の側の一人として言う。「アウシュビッツの収容所だけでもユダヤ人を主とする110万人もの人が計画的に冷酷にシステマチックに殺害されました。その人々の一人一人には名前が、譲り渡すことのできない尊厳が、出身や生い立ちがありました。しかし家畜用の貨車に押し込まれての強制移送から、到着後の手続き、そしていわゆる「選別」まで、どれをとってもその人々から人間性を奪うこと、そして人間としての尊厳、一人一人の個性、人格を奪い去ることに徹底していました。」

 津久井やまゆり園の事件当時、神川県警は遺族・被害者家族の希望として被害者の氏名を公表せず、メディア報道もそれに倣った。
 以下は当時「つれづれなる風」のバックナンバー「2の蔵」に「差別」としてアップした文章の一部である。
「重傷者の場合だが、東京新聞に限って言えば2名匿名(うち1名は成人後見人が関わっている。)、1名が実名報道であった。後者は森慎吾さんとそのご両親。写真入りで掲載されていた。森さんのご家族にしても、これまでずっとその姿勢で過ごされてきたわけではないだろう。時には世間に触れさせたくない思いを抱いたこともあったかもしれない(そして、そのようにさせた世間の一端を私たちが担っている)。しかしこの記事は、暗澹たる思いの中で接してきた今回の殺傷事件関連の報道の中で、ひとすじの光源となって輝いていた。」(2016.8.4)
 津久井やまゆり園の裁判では、被害者45名のうち、実名を希望した1名を除いた人々の名前が「甲」・「乙」の匿名で審理される。殺害された被害者19名のうちの1人、親が実名を希望した「美帆さん」もそれがフルネームではなかったという理由で匿名とされた。
 「その人々の一人一人には名前が、譲り渡すことのできない尊厳が、出身や生い立ちがあ」ったにもかかわらず、ほとんどの被害者が実名報道されず、実名での審理もなされていない。
 津久井やまゆり園での惨事、そして裁判に至る現在までの経過は障害者差別以外のなにものでもない。そしてその一端を私たち日本国民の一人一人が、まだ握り続けている。
(2020.1.14)

【追記】1月15日、横浜地裁は遺族からの申し出により、「甲A」としていた被害者の呼称を「美帆さん」とすると発表した。これに続く裁判長の言葉は、匿名であることに変わりはなく、「甲A」を「美帆さん」と呼び変えたに過ぎないことをダメ押しのように伝えている。「依然として氏名(実名)ではなく呼称であり、被害者が特定されないよう注意されたい」(「朝日新聞デジタル」2020年1月15日 12時33分)
(2020.1.15)





また一人

 また一人遠方へ旅立つことになった。
 これで何人目だろう。片手では足りない。彼らの多くは東北の山形・秋田・青森、あるいは北海道へと移り住むことになる。なぜこんなことになるのか。いつまでこんな状態が続くのか。この国ではそれが許されているし、そのことで暴動がおこったりはしない。そのような国の在り方を暗黙のうちに認めてしまっている、自分を含めたそのような国民がいるからだ。

 養護学校の教員になったときから、子供たちの進路について頭を悩ます保護者の方の姿を見てきた。彼らの進路について真剣に考え、職を辞してまで受け皿づくりに取り組んでいた教員もいるにはいた。自分はと言えば、子供たちの将来にわたってまで関わる気はないし、そんな責任も持ち続けられないと考え、積極的に関わることはなかった。ただ、学校という場での子供たちとの付き合いに限界を感じていていたので、学校外での関わりの場を作り上げ、いっときの解放の時間を共有していたに過ぎない。
 そんな自分が偉そうに言うことはできないのだが、「また一人」という事態を身近にしたとき、なぜこうなるのかという問題に向き合わされた気がした。

 解決策は簡単ではないだろうが、望むべき姿はすぐに思いつく。
 家庭で養育が困難になったら、それをサポートする体制を(本質的には地域をはじめとした社会が、制度的には)国や地方自治体が整えればいいのだ。サポートのなかみは多様だろう。家庭に入って手助けするヘルパー制度や、通所や短期の宿泊施設を利用するいわゆる「デイケア・プラス」が考えられる。ここまでは充分ではないものの、従来と比べれば充実しつつあると言えるのではないか。
 問題はその後のことだ。親の病気や死亡、高齢化により子供の面倒を見る事が困難になった場合、つまり家庭での養育ができなくなった時にどうするか。地域での受け皿(例えばグループホームやボランティア団体によるケア)がない場合(そして、それがほとんどだろうが)、良かれ悪しかれ施設入所という選択肢が浮上せざるを得ない。この場合でもできれば居住地域、またはその周辺が望ましい。それは人情として当たり前のことだろう。近くならばいつでも顔を見にいくこともできる。現実的に訪問が困難であるとしても安心感がある。

 親はここまで追い詰められてもいろいろと悩むものだ。障害のある子どもを手放すことの(それが正当ではないとしても)罪悪感、反対に、子どもはいずれ親の元から飛び立ってゆくものだという正当化(これは前者の裏返しとも言える)を口にする人も多い。本当は、ずっと手元育てていければと考えるものなのだ。それが良い事かどうかは別としても……。
 だが現実はそのような親の思いをなぎ倒すような現実が待っている。施設入所の口は少なく、なかなか順番が回ってこない。やっと回ってきても初めに述べた遠隔地の施設だ。「さあお母さんどうします? これを断ると次はなかなか難しいですよ。」と判断を迫られる。
 遠隔地の施設に子供を喜んで預ける親などいない。そもそも子供を預ける事すら躊躇している場合が多いのだ。「近くの施設はありませんか……」とすがるような気持ちを飲み込み、「よろしくお願いします」と言わざるを得ない現実。そんなことを言ったら、返ってくる言葉が想像できるから。
 これがこの国の実態なのだ。

 地方に大規模福祉施設を作れば、雇用も増え地域の活性化につながることは一面の事実としてはあるだろう。だが、「子供たち」は地域活性化のためにいるのではない。地域活性化のためにはもっと根本的な対策が必要である。原発や軍事基地を地方にもってくるのは(地域がそれを誘致するのも)、都市部のエゴイズムと地元の金目当てである。その金が懐に入るのはごく一部の人たちだけなのにもかかわらずだ。福祉施設がそのような構造を持っているとは断言できないが、似たような面もあるのかもしれない。
 有料老人ホームは雨後の筍のようにあちこちに設立されている。全て企業が設立したものだ。中には有名な会社が運営するものも少なくない。土地も人手もないわけではなさそうだ。しかしながら公的な軽費老人ホームの新設はとんと聞こえてこない。
 平和国家であるはずの日本で空前の5兆円越えの軍事予算が費やされている。軍拡路線は留まるところを知らないかのようだ。いっぽう天皇の代替わりに伴う予算は160億円越え、政教分離の原則から疑義のある大嘗祭だけでも27億円超の税金が使われ、「大嘗宮」と呼ばれる宮殿がそのためだけのために建設された。
 ギャンブル依存症が心配される(それ以前に、ばくちを許している不道徳な国家という問題がある)統合型リゾート施設の誘致の声も各地方自治体から上がっている。千葉の幕張では海外企業による大規模な武器見本市(防衛省・外務省・経済産業省などが後援)が開催された。国は危険な原発政策を推進し、海外にまで売り込みをはかっている。
 国の予算の使い方が偏り、不公正に思える。国是も道徳的な価値判断も無視し、経済効果と政権の恣意的意向のみを価値基準にしている。金も土地も技術も人手もないわけではない。こんな現実をひっくり返すには革命的な政策転換が必要な気がする。
(201911.22)



軍事研究応募反対要請

 9月10日の東京新聞の記事「国立譚問題が軍事研究検討」の記事(クリックすると大きくなります)を見て背筋か寒くなったのがそもそものきっかけだった。科学技術の粋を集める国立天文台が軍事研究に踏み出すことの影響は計り知れない。国立天文台が軍事研究に手を染めることは子どもたちの天体への夢をぶち壊すことにもなる。
 これは黙って見過ごすわけにはいかない。何かしなくては、という焦りのような気持ちが沸き上がる。まずは電話だ。国立天文台に電話して抗議と考え直すように要請する(国立天文台は現在のところメールでの問い合わせは受け付けていない)。メールのアドレスが見つからないのでハガキに同様の趣旨を書いて投函する。自分ひとりの働きかけでは弱いと考え、知人・友人にも声をかける。さらに、国立天文台に同趣旨の要請書(クリックするとダウンロードできます)を持って行くことまで話は膨らんでしまった(※この間のことは以下に示す感想に書いたので詳述は省略する)。
 しかし、ひとに働きかけまでしていたこの時点では、大学や研究機関、民間の会社組織の軍事研究協力について、また防衛装備庁の安全保障技術研究推進制度についても、実は何も知らなかったのだ。いわば直情的に反応したことになるが、やったことは今でも間違ってはいなかったと思うし、感じた危機感のようなものは本物だったと考えている。

 話があべこべだが、今回の要請で改めてわかったことがある。
日本学術会議は戦争協力への反省から「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない」旨の声明を2度(1950年・1967年)にわたって発している。それにもかかわらず、各大学や研究機関が軍事研究に踏み出そうとする例がある。そのとき正当化として挙げられるのが次のようなことだ(すでに識者からは指摘されているのかもしれないが)。
 1、防衛目的ならばいい。
 2、民生用としても有効である(いわゆる「デュアルユース」)。
 3、公開されるならいい。
 4、人件費(首を切るよりは…)や研究費(研究ができなくなるよりは…)が枯渇している。
 これらのどれか、またはいくつかが組み合わさって正当化の理由とされているようだ。もちろん背景には現政権の政策的な予算削減がある。さらに民間の会社組織では学術会議の声明が歯止めになりにくい。いずれにしても深刻な問題が横たわっている。


以下は、今回の天文台訪問報告に併せて賛同者へあてた個人的な感想です】
.***********************************************************************************************
 9月10日の東京新聞記事「国立天文台が軍事研究検討」の記事を見て、強い危機感があった。このままこともなく事態がすすめば、日本は戦争国家になるのではないか、そんな気にさえなった。これは何とかしないといけない。いずれどこかの著名人や大きな団体が声明を発するなり、署名活動を呼びかけるなりするだろうが、先ずはできることから始めようと思った。
 心ある人ならばきっと応じてくれるだろうという思いから、知人・友人にメールを送り、天文台に電話やハガキで(国立天文台はメールを受け付ける窓口がない)軍事研究をやめるよう要請するよう依頼した。自分でもハガキを書き、天文台に電話した。ついでに、電話に出た担当者にどれくらい抗議の電話があったか尋ねた。「数件あります」との返事。数件?!、真偽のほどは分からないが驚き、がっかりした。
 以前、大阪地検特捜部に抗議の電話を入れたときにも同じような思いをした。元財務省理財局長佐川宣寿を再度不起訴とした時だ。回線がパンク状態で電話がつながらないのではと心配したのだが、たった1回の呼び出しでつながった。この時も同様のことを訪ねたのだが、似たような返事だった。怒りや危機感を感じても、その相手に直接思いを伝えることの間には広い開きがある。
 新聞に国立天文台の記事が掲載されたあと、マスコミやネットに署名活動などの動きがないか注目していが、それらしい動きは見当たらなかった。それならば自分が呼び掛けて、同じ思いを持つ人たちの連名で天文台に軍事研究反対の意思を伝えるしかない、そう考えた。抗議の意思を示す人たちの数もこちら側で把握することもできる。「数件あります」なんて言わせない。
 抗議のハガキに書いた文章をふくらめて皆さんに提示し、賛同者を集めた。10数名の方たちが名を連ねてくれた。こうして始まったのが今回の申し入れの行動だった。

 要請行動といっても何をどうすればいいのか皆目わからない。かつて労働組合などの要請行動に参加したことはあるが、企画した側ではないし、応援団の1人のようなものだったから、要領を得ない。そもそも国立天文台の責任者が会ってくれるのかどうも定かではない。まずは電話だ。するとあっさり候補日をいくつか提示してくれた。勢いで、天文台の労働組合の担当者にも連絡を取り面会の段取りをした。
 あとはこちら側の体制だ。賛同してもらった方に呼びかけ、調整して訪問の期日も決まった。参加者は自分も含め全部で3名になった。呼びかけた本人としては嬉しい限りだが、どうなることやら、不安と緊張感がうっすらと漂い始めた。まあ出たとこ勝負だ、何とかなるだろうと無理やり自分を納得させ、当日(9月26日)天文台に出かけた。

 面談の内容については、(メモのようなものでしかないが)初めに書いたし、問題点は他の方が指摘していてくれたので、ここでは個人的に当日感じたことを2点だけ記します。
 ひとつ目は自分が何も知らなかったということである。
 防衛省の軍事研究補助とはいっても、実際には防衛庁内の一部局である防衛整備庁が年度ごとにいくつかのテーマを決め、民間の企業や大学・研究機関に公募しているということ、すでにいくつかの企業や大学・研究機関では応募しており、研究成果も発表されている。名称は「安全保障技術研究推進制度」という軍事技術に資する研究になるが、思いのほか公開性が高い(初めのうちだけ、あるいは入り口だけかもしれないが)。そのため、軍事研究ということで警戒する向きには、応募する際の敷居が低くなっている。日本学術会議の2017年声明は一定の歯止めにはなっているが、軍事技術を自衛権の範囲なら認められるという判断から応募に踏み出す例もある。また「軍事のみ」ではまずいが、民生用にも活用できれば(いわゆる「デュアルユース」であれば)OKとする考え方もある。民間の企業では、歯止めとなるものがなない(現に応募する団体は民間企業が多い)。判断の是非はあくまでも個々の研究者や企業責任者の良心に任されている。などなど、これら以外にもまだまだ知らないことが多い。
 こんな無知な状態でよく要請行動などやったものだと自分でもあきれるし、これからも知る努力は続けていかなければならないとは思うが、当初感じた危機感だけは本物だった。

 ふたつめは、国立天文台に対して応募しないように要請すれば済むのかという問題である。
 確かに国立天文台は研究機関の象徴的な存在でもあり、その判断は他の分野の研究機関にも大きな影響を及ぼす。その意味ではここに要請を集中させるのは妥当だが、JAXAや理研、そして各大学についてはどうなのか。さらに民間企業ならばいいのかということもある。
 いっぽうで研究費(特に基礎科学や人文科学分野において)が削られ、人件費にまで手を付けなくてはならない事態になっている。このような厳しい事態にたちいたっているのは、ひとつにはそのような政策をおし進めている現政権の偏ったあり方だ。そして、それを止められない私たちの問題でもある。
 飢えた子に毒まんじゅうが差し出され、「それは毒だから食うな!」と言っているだけでは解決にはならない。飢えた子供が出ないような政策転換を図らせる必要があるし、毒が入っていないまんじゅうを与えることも必要だ。どちらも簡単にはいかないが、「食うな!」と言っている以上、これらの課題を併せて追及しないことには片手落ちになろう。それが何なのかこれからも考え続けなくてはならない。


【おまけ】
 要請書を持参するというのは、個人的には初めての体験だった。どういうふうに臨むべきなのか皆目見当がつかない中で、ひとつだけ思いついたことがある。それは前日29日の新聞に載っていた16歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリが国連気候行動サミットで行ったスピーチだった(クリックすると大きくなります)。
 これは使える、面白そうだ、と考えて作文したのが替え歌ならぬ「替えスピーチ」。当日はご披露することはなかったが、「おかず」として再現します。     ***********************************************************************************************
 私たちはあなたたちを注意深く見ている。それが、私のメッセージだ。
安全保障技術研究推進制度に応募するなんて、完全に間違いだ。そんなことがよくできるものだ。
 私はここにきているべきではない。私は地域の中で、友人と一緒に、自適の生活をしているべきだ。それなのにあなた方は私たち老人の気ままな生活を許してはくれない。
 あなたたちの空疎な発想で予算を得ることで、私たちの子供の、孫の未来を奪ってはいけない。
 でも、私たちは巡りあわせのいいほうかもしれない。そのつけを直接負わなくても済むからだ。
 だが10年後20年後、あなたたちの行いを改めない限り、子や孫たちは直接の被害に遭うことは確実だ。
 私たちは平和を求めなくてはならないのに、戦争を未然に防ぐという名目で軍備の拡大を図っている。平和のために軍備を増強するなんておかしいと気づくべきだ。
私たちはこのままいけば絶滅するというのに、あなたたちの頭には富と経済成長のことしかない。それはほんの一握りの人たちのものでしかないのに。
 過去50年以上、科学技術は科学は極めて平和に対して誠実であり続けてきた。十分な政策もままならないのに軍事研究からは毅然として距離を置いてきた、それがここにきて防衛省助成に応募するなんてよく言えたものだ。もし本当に状況を理解し、人々の願いに耳を傾けるなら、この度の検討は撤回されるべきだ。
(中略)
 私たちはあなたたちの愚かな行いを知ってしまった。あなたたちには失望した。しかし全ての未来世代の目はあなたたちに注がれている。私たちを、そして新たな世代を失望させる選択をすれば、決して許さない。

(2019.10.3)

これ以前のデータは「つれづれなる風・六の蔵」に保存してあります。