つれづれなる風




        
最新データ:2021.7.6


「全庁的対応」

 市役所に行く機会が多い。公共施設(公民館・図書館・集会所など)に市民のための情報コーナーがあり、チラシ等を配置してくれることになっている。市民サービスの一環として市が行っている事業だが、広く市民に呼び掛けるにはまことにありがたい取り組みである。このようなサービスは、当市に限らず各地方自治体でも行っている例が多い。しかしいいことばかりではない。
 チラシ等を受け付ける窓口では内容をひととおりチェックする。これは仕方のない面もあって、営利目的の活動や、政党・宗派レベルの活動の規制とともに、個人情報や基本的人権を侵していないかを事前に審査いなければならない。市が場所を提供する以上、そのことはチラシ等の内容を審査することは理解できる。だが時として、審査の行き過ぎや、過分に時間をかけるなどのトラブルるのもととなることも少なくない。そのたびに窓口とやりあうことになる。こちら側としては面倒だが、正当性の認められない従う窓口対応には黙って従う気もない。
 対する市職員側も、市民とやりあうのが面倒なのは同じようで、ここで対応は2つに分かれる。あくまでも市民への説得に努め、それが受け入れられなければ配置を断るなどの対応をする。もうひとつは個々で対応するのが困難とあきらめ、他の権威にすがるやり方である。前者の場合は(ここでも取りあげたことがあるが)、納得いかない市民は行政不服審査に訴えるか、最終的には司法に判断をゆだねるなどの対処をするしかない。そこまでいかなくとも、窓口職員の上司と掛け合い解決する場合もなくはない。問題は後者である。

 窓口で対応する職員は、係長か課長レベルまでであることが多い。個々で判断して対応すればよさそうなものだが、直接的な市民との対決は避けたい。そこで出てくるのが「全庁的な対応」という言葉である。「全庁的に対応を検討しますので、しばらくお待ちください。後日返答します。」というものである。
 市民側としては全庁的な対応をしてもらうことは便利なこともある。実際交渉過程で、「〇〇の窓口では問題なく置かせてもらった」と言うと、すんなり通ることもある。
 だが、窓口の対応は、地方自治法や社会教育法で定められた一定の水準があり、それらの法規にのっとっていれば多少のデコボコがあっても許されるはずだ。部署によっては規則や基準、内規というかたちをとっているところもあるかもしれぬ(もちろん規則・基準・内規が法規に違反していれば、そのこと自体が問題とはなる)。「全庁的対応」という言葉は、これら法規に添った判断を避け(個々人が責任を負うことを避け)、横並びで対応してやり過ごそうという姿勢の表れである。
 全庁的対応と同じように用いられるのが、「上司と相談して」だ。目が上に向いているか、横を見ているかの違いでしかない。もっと目の前の市民と正面切った対応ができないものか。「お前のような、わからず屋がいるからそうなるのだ」と言われそうだが、これではいつまでたっても職員の力がつかない。基本的人権を欠いた対応があったり、市民的な自立と自由を尊重した姿勢が欠けるのもここに原因があるのではないか。

 もうひとつ気になるのが「決定したら市報で発表します」と言う対応だ。ある案件に対し現時点での進捗状況を尋ねたとき、この言葉をよく聞く。その場はなんとなく納得してしまいがちだが、よく考えるとおかしな返事だ。
 市民としては気になる案件があって窓口なり、担当者なりのところまで出向き(または電話し)話を聞きたいのだが、その言葉でシャットアウトされてしまう。発している本人はそんな意識はないのだろうが、市民からの声を受け入れない、市当局が決めたことに従っていればいいと言っているに等しい。市報で明らかにされた時にはすでに事業は決定し、意見をさしはさむ余地などないだろう。
 事業を進めている市の職員にとっては面倒なことかもしれないが、市民の意見を受け入れて市の事業を進めていくことは決して悪いことではない。むしろ市の活性化に結び付くと考え、積極的に受け入れていくべきではないか。いわゆる「有識者」の意見聴取や、市民向けの説明会は開くが、直接的な声を受け入れないのでは形式的のそしりを免れない。
 こう言うと必ず「市民の声を平等にお聞きする」との返答が返ってくるのも通例だ。これも「全庁的対応」と同根の言い訳でしかない。みずからのレールに沿った意見のみ聴取し、決定までは情報をシャットアウトして積極的に公開することはない。情報公開条例が出来たのは、市民に開かれた市政であることの反映ではなく、閉鎖的な市政の証明であってはならない。
(2021.7.6)



平和思想

 新型コロナの世界的な拡大の中、軍事費ば最高額を記録し続けているという(2021.4.27東京新聞記事参照)。平和憲法を持つ日本もその例外ではない。
 このような巨額の資金を、医療を含む社会保障費や教育費にあてたら、どれほどの人たちが救われるかと考えると唖然とするしかない。
 想像もつかないような巨費によって、現に殺され、苦しめられている人々がいる。軍事費をなくすことは、ムダ金使わないというだけにとどまらない。これをなくすだけで、困窮や悲劇からの救済がはかれる。いくさがやめば、人類に幸福がもたらされる契機となる。
 つまり、非軍事によって人々が得られる利益は「2倍返し」だ。軍事費を社会保障や教育に回すということは、その軍事費にかけた予算の倍の効果があると考えるべきなのだ。

 しかし世の中には、軍事によって経済活動が活発になり、技術も発展し、ひいては人類の生活か豊かになると主張する人々がいる。
 軍事費によって莫大な利益を得ているのはごく一部の人々なのだが、それがどのような人々であるかということが分かってはいても、また、みずからがのそのグループに属していないことは承知していても、そのおこぼれに預かり、一定の「豊かな」生活に自足している人々がその周辺に五万といる。彼らはその生活が軍備によって守られていると信じている。いっぽうでその軍事費によって、中東やアフリカで日々殺され苦しめられている人々がいることは見ようとはしないし、感じようともしない。
 いまミャンマーで起きていることは軍隊が守っているのはだれなのか、はっきり示している。少なくとも上記のような五万といる人たちではない。国軍は国は守っても国民は守らない。国とは本質的には「領土」などではなく、上にあげたごく一部の人々の利益のことである。国民は軍事の消耗品であり、いざとなれば銃口は彼らにも向けられる。それは中東やアフリカで罪もない人々に打ち込まれる弾丸と同じだ。

 その軍隊が日本でもあたりまえのようにして登場するようになった。
 軍隊は持たない、兵器には手を出さないと言っていた日本も、「自衛隊」という名の軍隊をもち、(この記事で見た限りでも)世界の10指に入る軍事費を計上し、「安全保障技術研究」という軍事研究をし、兵器・武器を「防衛装備品」として製造・輸出入を可能にした。平和国家を標榜していた日本はここまで来てしまった。
 ほとんど絶望的な情況なのだが、諦めているばかりでは何もならない。軍隊や軍事に関する受け止め方を根底から変える平和思想が、いまこそ必要な時だ。
(2021.4.27)



行政不服審査請求と準備書面
 ―弁明書が届く―


【二兎追うものは一頭も得ず】
 2月26日に審査請求をしてからかれこれ2カ月にもなろうという26日、やっと弁明書が届いた。内容は、事実をおのれの都合のいいように捻じ曲げて解釈し、自己保身に走り、処分そのものがなかったかのように装うきわめて悪質なものだった。仲間内の審査なら、これで通用すると考えたのだろうか。
 「東大和市子ども・子育て憲章」陳情裁判の準備書面がやっと出来上がったと思ったら、今度は弁明書に対する反論書を書かねばならなくなった。

 準備書面を仕上げるにあたっては、2度ほど弁護士にも相談をした。法律にはズブの素人が作るのだから、穴だらけだろうとは予想していたが、それ以上に不備や甘さを指摘され、いっそすべてを弁護士に依頼してしまおうかとも真剣に考えた。
 数日悩んだが、それでも自分でやる面白さも感じている面もあるので、再度準備書面を作り直しに取りかかった。
 準備書面にかぎらず(準備書面は特に大事なのだが)、司法関係の文書は自分の思い(それも大切なのだが、)だけを伝えただけでは裁判官に納得してもらうことができない(らしい)。ひとつひとつの事実について法律の裏付けと根拠を示し、説得的に語らねばならない。道理や正義をベースにした思いより、法的根拠をもつ主張に説得力があるということのようだ。「裁判所には、法はれども正義なし」とは敗訴や不当判決の時にいわれることだが、これなどはそのことを言っているのだろう。

【瓢箪から駒】
 準備書面づくりに数日もかけて取り組んでいると、いやでも法的根拠を関連付けて考えるようになる。法令などもじっくり見る癖がついた。主に地方自治法や東大和市議会会議規則、行政不服審査法などによくあたった。民事訴訟法は……、参考書以外にはほとんど見ていない(^^;)。その中で思わぬ発見もあった。
 行政不服審査に関して、公の施設の利用における審査庁の諮問先は議会ということになっている(地方自治法244条四の2)ということを市の文書課から言われた。しかし、市議会は審査請求の申請者が提訴している訴訟の被告であり、利害関係者である。議会に諮問することはいかにもおかしいと主張し続けたが、なかなか聞き入れてもらえない。
 地方自治法をあたっているときに、興味ある条項を見つけた。それは地方自治法96条「普通地方自治体の議会は、次に掲げる事件を議決しなければならない」の十二である。
 それによると「普通地方自治体がその当事者である審査請求その他の不服申し立て、訴えの提起(普通地方公共団体の行政庁の処分又は裁決に係る同法11条第1項の規定による普通地方公共団体を被告とする訴訟に係るものを除く。)、和解、あっせん、調停及び仲裁に関すること。」(下線筆者)とあり、陳情裁判がこれに該当するのではないかということである。つまり、議会に諮問する例外規定にあたるのではないかというのが、当方の見方である。ただし、陳情裁判が本当に「普通地方公共団体を被告とする訴訟」にあたるかは、現時点では判断し難い。一縷の希望ではあるのだが……。

【お里が知れる】
 さて、準備書面である。最終的には11枚の長編になってしまった。
 はじめのうちは根拠となる法律を示し、順序だてて書いたつもりだが、だんだん同じことの繰り返しが多くなってきてしまった。終盤ではついに、心情の吐露ともいうべき記述が主体となってしまったのは否めない。やはりこれが本人訴訟の限界かもしれない。そうであれば開き直った格好で言いたいことを述べるしかない。
 とにかく勝つためには使えるものは何でも使うという覚悟で、証拠も一つや二つではなくなってしまった。ついには自分の障害者手帳まで証拠として提示した。
 昔はともかく、現在では名実ともに重度の障害者であるが、これまで自分の障害を人前で顕在化させたことなど一度もない。そのタブーも今回は破った。なんとしても勝ちたいという思いが一線を乗り越えさせた。このことが凶と出るか吉と出るか(期待はできないが)、結審までわからない。
 まだこれからやれることがあれば、さらに続けるつもりではいる。
※弁明書と準備書面に興味のある方は、「自由と人権」のHPからご覧ください。
(2021.4.24)



オリパラと平和

 新型コロナ感染の第4波の拡大がとまらない。変異株による感染も広がりつつある。国や地方自治体の対策も事後対応ばかりで、医療崩壊などに対する積極的な対策は見られない。ワクチン接種を除けば、ある意味、無策というとかない状況だ。
 そんな中、目前に迫っているオリンピック・パラリンピックについては、国も都も実施の旗を降ろしてはいない。誰が考えても無謀という他ないし、海外からも中止の声が上がり始めている。
 やめるなら早い方が良い。それだけ経済的損害が少なくてすむし、選手や関係者にいたずらに期待を抱かせずに済む。個人的には商業主義に毒されたオリパラ自体にも疑問がある。

 東大和市には都立東大和南公園の中に「戦災変電所」という戦災遺構がある。これは東大和市(旧大和村)内にあった軍需工場に付属する施設である。戦争末期の1945年2月から4月にかけて爆撃を受け、工場の従業員や動員学生、周辺の住民ら100人以上が亡くなった。工場も壊滅状態となったが、奇跡的に変電所の建物本体は倒壊を免れた。
 東大和市は、1997年にこれを市の文化財として指定し、戦争で多くの尊い命が犠牲になったことを、誰よりも雄弁に物語ってくれるこの変電所を後世に伝えることにした。市はこのことを伝えるHPで次のようにも述べている。「多数の弾痕が残る外壁は、当時の攻撃の凄まじさを教えてくれます。戦争の怖さや悲惨さ、そして平和の尊さを、この変電所をとおして感じていただければと思います。」
 また、市はこの変電所前の広場で、毎年8月に東大和市主催で「東大和平和市民のつどい」を行っている。

 昨年は新型コロナ感染の拡大の影響で、「平和市民のつどい」は中止になり、YouTubeを使っての配信になった。もし「つどい」が実施されていれば、変電所の壁面を使ってプロジェクションマッピング(以下「PM」と略)が行われる予定だった。なんとその事業だけで900万円近くの予算が計上されていた。
 今年は昨年から延期となったオリパライヤーということで、これと抱き合わせた企画が予定されているとのこと。具体的には、「平和市民のつどい」と「東京2020パラリンピック聖火リレー」を同日に開催することで、市民をはじめ、多くの人たちの「平和意識の高揚」が図る(企画課)のがねらいであるらしい。ちなみに、この企画の提案主体が企画課であり、実施主体は社会教育課。昨年のPMの提案主体も(表向きは)この企画課である。
 同日開催ということ以外、場所等については、まだ具体的にまだ何も決まっていないようである。ただし、実施主体の違いや権利関係などから、ひとつの事業としては実施できず、同日開催という内容に留まるらしい。

 社会教育課で初めてこの話を聞いた時から、ずっと違和感があった。オリンピックは平和の祭典、平和市民のつどいと抱き合わせにして何がおかしい、と言われそうだが、本当にそうか。初めにも述べたが、商業主義(コマーシャリズム)化したオリンピック、国家間の政治的利害に巻き込まれるオリンピックが、はたして「平和の祭典」といえるものかについてはいささか疑問がある。「平和市民のつどい」と抱き合わせにすることは、はっきり言えば「悪い冗談」にしか聞こえない。
 「戦争で多くの尊い命が犠牲になったこと」に思いをはせ、「戦争の怖さや悲惨さ、そして平和の尊さを、この変電所をとおして感じ」ることと、聖火リレーの盛り上がりが、すっきり結びつくとは到底思えない。昨年のPMもそうだが、盛り上がればいいのかと思う。もちろん具体時な内容を見てみなければわからないが、市の姿勢はどうも見た目の派手さだけをねらっているように思えて仕方がない。
 「平和市民のつどい」は盛り上がるとしても、もっと違った形であるべきだろう。私たちの先代が敗戦直後に感じた戦争の悲惨さや平和の大切さに思いをはせ、今の時代につながることがないか、静かに想うことこそが必要なのだ。そのことと、聖火リレーで(おそらく)お祭り騒ぎになることとは相容れない。
 そんなことを考えていたら、以下の記事が目にとまった。

 4月13・14日と続けて東京新聞に掲載されたものである(掲載記事は13日のもの)。
 津久井やまゆり園と言えば、まだ記憶に新しい。障害者差別にもとづく殺傷事件があった現場だ。ここで犠牲になった被害者の遺族や家族が、県や相模原市に対し、パラリンピックの採火の中止の中止の要請をしたというもの。
 市の考えとしては、「共生社会実現を目指すパラリンピックの理念にそう」との考えから実施を決めたという。犠牲者の遺族や家族は「家族が犠牲になった場所で採火が行われるのは違和感がある」としている。

 東大和市の例は、これとは直接には結び付かないけれど、通じるものがある。障害者−パラリンピック−平和の祭典が安易に結びつけられてはいないか。戦争や障害者差別によるひとりひとりの犠牲者、彼らに対する想像力がそこにはあるのか。
「パラリンピックと共生社会」「平和の祭典と平和の式典」といえば誰もが納得するだろうという発想、疑問をさしはさもうとはしないし、すべきでないとの考え、そんな思想が透けて見える。
 「オリンピック反対」ということを力づくで押し隠す聖火リーの姿、宣伝カー(その正面には協賛企業の商品名が大々的に飾られていた)の大音響でにぎやかに執り行われる聖火リレー。こんな風景は、障害者が個として尊重される多様性社会とは正反対に思える。それは戦時中の、「勝った!勝った!」のちょうちん行列、異論を押しつぶす体制翼賛の思想と相通ずるものがある。

 オリンピックはおそらく中止になるだろうと思い、声をあげずに済ますという選択肢もあるだろう。何も事を荒立てるほどのことはないという判断をする人もいるだろう。しかし、たとえ少数者であるとしても、声をあげることこそ多様性を認める社会への第一歩となるはずだ。
(2021.4.16)



行政不服審査請求

 行政不服審査法という法律がある。
 2014年の改正に伴って内閣府大臣官房政府広報室では、サイトに次のような解説を載せている。
「処分に対して不服がある場合には、裁判に訴える(行政訴訟)という方法もありますが、手続もより複雑で、裁判所へ足を運ばなければならないといったことがあります。一方、不服審査制度では、不服申立ては書面で行うことができ、おおむね裁判よりも 短い期間で結論を得ることができます。手続に費用もかかりません。」
つまり面倒で、直接足を運ぶ必要もあり、時間もかかる裁判(1996年の民事訴訟法改正によって大きく改善された部分もあるが、)の弊害を克服しようというものである。
 じっさい、その第1条には以下のようにある。
「第1条 この法律は、行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に関し、国民が簡易迅速かつ公正な手続の下で広く行政庁に対する不服申立てをすることができるための制度を定めることにより、国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする。」
 初頭から「簡易迅速かつ公正な手続の下で」と述べ、スピーディーさと公平さを謳い、その目的は、国民の利益の救済ばかりでなく、行政の適正運営を確保することであるとしている。
 29条「弁明書の提出」では「審理員は、審査庁から指名されたときは、直ちに、(後略)」とあり、42条「審理員」では「審理員は、審理手続を終結したときは、遅滞なく、(後略)」、同条2項では「審理員は、審理員意見書を作成したときは、速やかに、(後略)」、また第44条「裁決の時期」では「(前略)遅滞なく、裁決をしなければならない。」、55条「誤った教示をした場合の救済」では「速やかに、その旨を審査請求人及び参加人に通知しなければならない。」とある。このように、「直ちに」「遅滞なく」「速やかに」が繰り返されている。
 この精神がそのまま反映されていれば、まことに謙虚で立派な法律というほかない。しかし、現実的にはどうか?

 地方自治体によっては、平然と右のような標準審理期間等設けているところもある(相模原市)。
 併せて「※提出された審査請求について裁決までの標準的な審理期間は、おおむね4〜6カ月間です。」ともある。これが「標準」とする感覚もにわかには理解しがたい。もしこれが「最長期間」を定めたものだとしても、人の常として「これを越えなければいいのだろう」となり、迅速をモットーとすべき法の精神が殺されかねないという疑念も生じる。しかしこれはあくまでも「標準」なのである。これで本当に裁判の代わりとしての機能が果たされているといえるのだろうか。

 「中央公民館館長によるチラシ配置拒否事件」は私自身が体験したものであり、初めは憤懣やるかたなく公表したものだったが、次第に上記法律が目指すものと現実の行政組織の対応との齟齬の記録として、憲法の「思想良心の自由」(19条)や「表現の自由」(21条)との関わりにおいて記しておく意味があろうとの考えから綴るようになったものである。

 中央公民館館長による恣意的なチラシの書き換え要求、引き続く「自由と人権通信NO.3」の配置拒否、公民館の所管官庁である社会教育課での交渉と配置許可、チラシの書き換え要求に関する行政不服審査請求の申請、担当部課である総務部文書課法規係での驚くべき対応、行政不服審査の問題点については「自由と人権」HPの「中央公民館長によるチラシ配置拒否事件」のページをを見ていただくとして、ここではそれ以降のことについて記したい。
 担当窓口である総務部文書課法規係でも取り扱いケースが少なく、本件受付当初は混乱が見られた。
まず、どこが受付窓口になるのかとい問題、そして処分庁の上級行政がどこかという問題(一時は、処分庁である中央公民館館長であるという判断もあった)、これらについては前者が前述のとおり総務部文書課法規係であり、後者は東大和市(市長)ということで結論をみた。
 だがしかし、またしても問題が出てきた。同係長がいうには、第244 条の4に「4.普通地方公共団体の長は、公の施設を利用する権利に関する処分についての異議申立て又は審査請求(第1 項に規定する審査請求を除く。)があつたときは、議会に諮問してこれを決定しなければならない。」とあり、今回のケースはこれにあたるとのこと。しかし、第三者機関である審査委員会に諮問する道も否定されているわけではないので、可能性としては残されているというのだ。
 またしても耳を疑った。議会といえば今訴訟に及んでいる被告方ではないか。「裁判ごっこ」のちらしはそのための集会案内だ。議会は利害関係者そのものではないか。その議会に市民したところで出てくる答申は決まっている。いくら地方自治法に定めがあるからといって、そのような対応をする意味や必要性があるものか。
よ くこんな条文を見つけたといって褒めてやりたいところだが、そんな訳にはいかない。市役所レベルで判断できないのなら、特殊ケースとしてそれでいいのかどうかを総務省に問い合わせるよう要求しておいた。(続く)
(2021.4.8)



むかし学校で

1.森会長辞任
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性差別発言、そして辞任、さらに後任会長推薦、そして辞退で揺れている。みっともない事はなはだしいが、その一つ一つがわが国の改善すべき課題を示している。
 森会長の発言は前近代的男女差別の典型だし、辞任に至るまでのドタバタは日本的責任の取り方の不徹底さの表れだし、森氏による後任の推薦・川口候補の辞退はこの国の権力構造の継承の特色ともいえる。今後もさらに問題は続出してくるだろう。
 こんな醜態をさらしてまで、また新型コロナウイルスが世界的に蔓延している中でオリンピックを開催する必要があるのかどうか、そのこと自体が疑問ではある。しかしわが国に限っていえば、その方向には話が進んでいるようには見えない。

2.オリンピック
 そもそもコマーシャリズム(商業主義)に支配されつくしたオリンピックなど、選手にとってもけして有益な催しとは思われない。選手は商品宣伝のコマとされ、選手の競技活動そのものがゆがめられる恐れさえある。
 また、オリンピックの種目の中には「平和の祭典」としてふさわしいのかと思われるようなものもある。例えば、近代五種・射撃などである。オリンピック種目については軍事・軍隊・戦争と歴史的にも関連の深いものが多いが、この2種は特に戦争と因縁が浅からぬものである。
 さらに言えば、そもそも各競技種目について世界第一位を選ぶ必要があるのかという個人的な疑問もある。
 とにかく、オリンピックに関して語ればきりがない。

3.ジェンダーフリー
 森氏の女性差別発言を受けて、東京五輪・パラリンピック組織委員会は7日、「ジェンダーの平等は東京大会の基本的原則の一つ」とし、人種・性別など「あらゆる面での違いを尊重し、たたえ、受け入れる大会を運営する」と表明した。
 ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別(sex)に対し、社会的・文化的につくられる性別のこと。こう説明されると理解できたような気にもなるが、それぞれの概念内の境界線や、ジェンダーと性別の明確な違いとなると混とんとしていて分かりづらいことも多い。ともあれ、森氏の発言がジェンダーの平等に反することは間違いない。

4.学校における先行事例
 元会長の森氏の女性差別発言に関しては思い出すことがある。もう15年以上前のことだが、都立学校に勤めていたとき、ある日の職員会議で管理職から次のような発言があった。
 「今後はジェンダー・ジェンダーフリーという言葉を学校現場で使用しないように」
かなり昔のことなので、発言の内容がこのとおりだったかは自信がないのだが、要旨はそのようなものだったと思う。その時は唐突に感じたし、不穏当な気がしたものだ。
 今から思えば、2003年7月の七尾養護学校の性教育に対する右派系都議会議員による教育介入事件、その後の都教委の不当処分(裁判で都教委敗訴)、それを受けて2004年8月26日に都教委が都立校に発出した(「ジェンダーフリー」の文言の使用について、今後,原則的に使用を取りやめるとともに,各校においても使い方に注意する)であったとわかる。
 しかし当時は、とにかく何か受け入れがたい事態が起きているという感覚しか持てなかった。そんな感じを持った人も他に多くいたかもしれないが、その場では何の質問も意見も出なかったし、自分もそのままやり過ごした。事後に同僚と話し合った記憶もない。
 根本的には思想・良心の自由、表現の自由という基本的人権の侵害ともいえる内容だったわけだ。しかしそのことに思い至らず、「変な感じ」がしてもただ黙ってやり過ごしてしまったことに、今でも忸怩たる思いがある。
 このことは、2003年の10月23日に出された通達「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」によって、生徒・教職員の思想・良心の自由を侵害した日の丸君が代強制の流れと無縁ではない。
 大切なのは、おかしいと気づくこと、気づいたときにそのままやり過ごさないことだ。

5.社会への広がり
 上記事態は国政レベルにも波及し、教育問題から社会問題にまでへと広がりを見せていった。
 安倍晋三元首相をはじめとする日本会議系派国会議員の煽情的な活動により、20006年1月には、内閣府男女共同参画局が関係部署、管内の市区町村に対し「『ジェンダー・フリー』について」事務連絡」という文書を発出している。その中では「地方公共団体においても、このような趣旨を踏まえ、今後はこの用語は使用しないことが適切と考えます。」とするなど、まことにおぞましい事態となっていった。
 安倍前首相が行った2006年の教育基本法改悪はこの流れの中にある。
 森氏の発言はこれらの前近代的思想傾向と無関係とは思えない。むしろそのような流れを引き継ぐものとして発現したものであるが、その組織委員会の後任候補として安倍前首相の名があがっているという。まったく何をかいわんやである。
 組織委員会の内部でのことであればまだしも、そのような人事を国民一般が受け入れるとなったら、もうこの国は世界から見向きもされなくなるであろう。
(2021.2.16)



小沼 通二著『湯川秀樹の戦争と平和』(岩波ブックレット)を読む

 小沼 通二(こぬま みちじ)さんといっても知らない人が多いだろう。
 日本の物理学者で慶応大学名誉教授、生前の湯川秀樹とも交流があり、世界平和アピール7人委員会の委員である。
 ぼくが彼のこと知ったのは、国立天文台が防衛省の安全保障技術研究推進制度に傾きかけていることを知り、有志を募って国立天文台へ(軍事研究に踏み切らないようにとの)要請書提出に動いていたとき、昨年9月のことだ。

 日本学術会議が軍事研究に反対していたことは新聞報道などで見知っていたが、歴史的経緯、具体的事実など、ほとんど知らないままだった。よくもそんな状態で、人を誘ってまで天文台に要請書を出したものだと、今ではあきれるばかりであるが、そのときの自分の気持ちは本物だったのだからしかたがない。国立天文台という我々にも馴染みのある存在が軍事に巻き込まれるということは、自分の足元にも火がついてきたような気がしたのだった。
 そんなとき、たまたまネットで目にしたのが小沼さんの「初期の日本学術会議と軍事研究問題」という論考だった。あとから調べて、出典は『学術の動向』(日本学術協力財団)の2017年7月号であると知った(まさに日本学術会議による3度目の「軍事的安全保障研究に関する声明」が発せられた年である)。

 ここには短いながらも、日本学術会議の成立に始まり、科学者が戦争に協力したことへの反省から軍事研究反対の声明を2度にわたって発出した経過がわかりやすく記されていた。また、遅ればせながらラッセル・アインシュタイン宣言このことを知ったのもこの論考であった。
 その小沼さんが今年の8月に岩波ブックレット1029として出したものが、この『湯川秀樹の戦争と平和』である。小沼さんは生前の湯川秀樹と面識、交流もあり、湯川を直接知る人が著したこのような本は貴重であると思う。

 内容は4つの章から成っている。第1章は湯川の研究と人となりについて、第2章は戦中の湯川のこと、第3章は戦争と平和への問題についての湯川の取り組みについて、そして第4章では同じ物理学者である小沼さん自身が湯川から学んだことについて書かれている。
 ぼくが最も関心を持ったのは、敗戦前の、湯川の戦争や国家に対する考え方、行動であった。敗戦後、平和への働きかけを積極的した湯川秀樹という傑出した物理学者が、戦時中にはどのような学者であったのかという点である。
 この本によれば、戦前・戦中の湯川は戦争政策を推し進める国家に対して特段批判的なわけではなく、科学研究の面で国家に貢献したいと考えるいち研究者に過ぎなかった。米英との開戦の報に接した時も、他の多くの国民と同じように高揚感をもって受け止めている。そして1943年8月に「科学研究の緊急整備方策要綱」が時の東条内閣によって閣議決定されると、翌年1月には湯川も転身を決意し、軍事研究へ参加するようになる。

 続いての関心事は、戦後における湯川の平和への思いと行動についてだった。
 戦後の湯川は、敗戦後の一時期「思索と反省の日々」を送ったのち、核兵器の使用による人類の絶滅を避けるために、すべての戦争の廃絶に向けて取り組むようになる。ラッセル・アインシュタイン宣言・パグウォッシュ会議への参加、マイナウ宣言への署名、世界平和アピール7人委員会への参加、世界連邦の実現に向けた取り組みなど、平和活動に積極的に取り組んだ。これらの活動の原動力になったのが、原子爆弾による被害の過酷さであり、さらに戦時中の軍事協力への痛恨の思いがあるあったことは想像に難くない。

 戦後75年、ひとりの人間の生涯にあたるときが経過した。戦争による悲惨の記憶も薄れがちだ。政治の世界ばかりでなく、科学の分野においても、軍備増強、軍事研究に全くといっていいほど免疫のない人たちの行動や言葉に触れることも珍しくなくなった。こんな時にこそ多くの人たちに読んでもらいたい本である。
(2020.10.17)



日本学術会議推薦の会員候補者の任命拒否

 日本学術会議推薦の会員候補者ののうちから6名の学者が任命拒否にあった問題(右新聞記事参照 ※クリックで拡大表示)、菅内閣総理大臣に対し多くの団体から抗議と撤回を求める声明が出されている。
 今回の任命拒否に杉田和博官房副長官が実質的に関与していたことが明らかになっているが(そのこと自体も違法だが)、最終責任者の菅総理の責任は免れない。菅総理は任命拒否の理由を明らかにしないまま、この決定を押し通すつもりのようだが、そんなことを絶対に許してはならない。
 そもそも今回の任命拒否は、軍事研究に反対する学術会議ならびに学問の自由に対する法を無視したあからさまな攻撃といわなければならない。戦争に協力したことへの真摯な反省から、軍事研究には手を出さないとした学者・科学者・研究者、そして大学、それらの勢力を一掃しようとしているのが、現政治勢力とその裏にいる経済界である。その意味で安倍政権の掲げた「戦後レジュームの総決算」という悪夢は、当然のことながらいまだ継続中というわけだ。

 これまで、日本学術会議は軍事研究に対する反対声明を3回出している。
 @1950年 戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
 A1967年 軍事目的のための科学研究を行わない声明
 B2017年 軍事的安全保障研究に関する声明
 @は敗戦の記憶がまだ生々しい中、設立間もない日本学術会議が発したものである。第二次世界大戦において、科学者コミュニティーが軍事的な協力に積極的に加担したことへの真摯な反省から、同会議内において提案、採択されたものである。また、このころ戦争への危機的状況(朝鮮戦争の勃発・自衛隊の前身の警察予備隊の設立など)が再び迫っていたことがその背景にある。
 Aはベトナム戦争のさなか、日本物理学会主催(日本学術会議後援)の国際会議で米軍の資金援助をうけていたという事実が発覚したのが発端であった。このことを重要視した日本学術会議は、1950年の声明を踏襲する声明を再び発したものである。
 Bは防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」が2015 年度に発足したことをうけて発したものである。日本学術会議はこの制度について、軍事研究への恐れを指摘し、学問の自由と学術の健全な発展を守る立場から科学者コミュニテイーに警戒を呼び掛けている。
 以上3つの声明が出されているが、現政権にとっては目障りなものばかりであろう。

 日本学術会議のこうした姿勢に加えて、今回任命拒否された研究者は、特定秘密保護法・安全保障関連法・テロ等準備罪(共謀罪)などに批判的な方々である。誰が見ても学術会議への攻撃であり、現政権批判者への狙い撃ちであることは明らかだ。

 このような状況下、政権方針を擁護するような言説がふつふつと浮かび上がるのも恒例ではある。そのひとつが奈良林直(ただし)北海道大名誉教授の主張。「北大のある教授が2016年度、防衛省の安全保障技術研究推進制度に応募し、採択された。しかし、学術会議幹部が北大総長室に押しかけ、研究を辞退させた」というもの。
 奈良林教授は国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)理事であり、そのサイトで上記のような主張を繰り広げた。もちろんそんな事実はなく、完全なるデマであり、ためにする情報操作でしかない。同サイトは早々に誤りを認めたが、結果としてウソ情報がひとり歩きしてしまうのだから始末が悪い。
 現に、このようなウソ情報を拡散させたとして批判されているのが、永田晴紀北大教授である。航空自衛隊機関誌「翼」113号に彼が書いた文章「防衛分野と民生分野の研究連携 について成熟した議論を」(軍事研究をデュアルユースとの関係で肯定しているもの)で上記奈良林主張を取り上げている(奈良林自身が誤りを認めたことで、現在では永田氏もその内容については取り消し、謝罪している)。
 内容は軍事研究に加担することを合理化する一手法でしかないが、それよりも気になるのは、アジア太平洋戦争の開戦にまつわる見方、考え方だった。しかし「任命拒否問題」からは話がずれてしまうので、また改めて述べたい。
(2020.10.17)


「東大和市子ども・子育て憲章」をめぐって

 「パターナリズム」という最近聞き覚えた言葉がある。
 「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること。」(ウィキペデアより)
 親が子どもに対して「あなたのためなのだから」などと言って、子どもの意思を操作し、子どもの意に反する行動をさせることが代表的な例とされる。日本語では家父長主義、父権主義などと訳されるが、必ずしもそればかりではない。先生と生徒、保育士と保育園児、上司と部下、介護士と要介護者、看護師や医者と患者などなど、広く社会にみられる現象である。さらに言えば、国と国民との間の関係、国家間(植民地に対する宗主国)の関係等にもみられるという。

 はじめて「東大和市子ども・子育て憲章」を目にしたとき、、なんとなく居心地の悪い、落ち着かない感じ=違和感がありました。それがなんであるのかは分かりませんでした。それでも直接的な反応として、「行政の市民・子どもに対する介入、おせっかい」という言葉が浮かんできました。
 今から考えると、これこそパターナリズムであったのだと承認できます。そもそもの動機が善意に基づくものであれ(そうでなかったとしたらなおさら)、やってはならない、少なくとも避けるべきことなのです。

 いっとき、「東大和市子ども・子育て憲書」を「教育勅語だ!」と厳しく批判する主張に接しました。初めてその主張を聞いたとき、否定はできないまでも、にわかには受け入れがたいものを感じていたのも事実です。
 今でこそその声に共感し、この憲章には教育勅語に通底するものがあるとは思いますが、その実態を摘出することは、まして他の人に伝えるなどということはとても困難なことに思えます。
 いっぽうで、この憲章を成立させようとする目的や、その手法を批判したりすることは比較的たやすいことでもあります。この憲章制定が市制50周年に向けてという、いわば「政治的」な目的でスタートしたということ、その故に、子どもや子どもの成長に関して十分な論議がなされているのかということに疑念が残ります。また、その制定に向けて費やした時間と内容が充分であったかと言えば、形式的にはともかく、やはり数々の不備があったと言わざるをえません。

 では、目的や手段が適正であれば、「東大ども・子育て憲章」は認められるのかと言われれば、決してそんなことはなく、初めに書いたように、行政がこんなことをすべきではないと思います。そのためには、憲章の精神に立ち戻っての根本的な批判に進まなくてはなませんが、今の自分の力では、その時代的・社会的背景におけるの問題点を指摘するに留まらざるをえません。
 2000年代に入ってから多く見られるようになった子どもや子育てに関する憲章・条例の制定、その背景には、1994年に日本政府が「子どもの権利条約」を批准したことがあると推測されます。しかし同時期にわが国では、超国家主義的な教育政策がたて続き、現在までその流れは強化されています。具体的には2002年に「心のノート」の配布、2003年に東京都の日の丸・君が代の強制通達(10.23通達)発出、2006年に教育基本法改悪、2015年に道徳教育の教科化などです。
 これらのことが東大和市の、そして他の自治体の子ども子育て憲章に関連がないなどとは思われません。多く自治体のそれには、家族愛・郷土愛が盛り込まれ、子どもには権利より「つとめ」が課される傾向にあります。各自治体の主観的な思惑に関わりなく、ここには教育勅語に通底する思想的潮流が感じられます。げんに教育現場で教育勅語を指導することを否定しない現政権閣僚の発言もありました。
 もちろん、すべての憲章がそうであるとは言えません。市民運動が活発な地域では、内容のある憲章や条例が定められています。いっぽう、そうでない地域では保守的な内容になりがちです。残念ながら、東大和市の憲章はこの系列に属します。

 これらのことを前提としたうえで、「東大和市子ども・子育て憲章」の問題点を指摘するとすれば、次のようになります。
 「東大和市子ども・子育て憲章」は、子ども自身の(大人自身の)発想に基づく宣誓という形を取りながら、実質行政による社会規範の押し付けになっている点、それは憲法第19条の思想・良心の自由や、子どもの権利条約の意志表明権や自己決定権とは相容れないものとなっている点であるということです。
 それでもまだ自分の言葉で語れていないどかしさを感じるのですが、そんな中途半端を自覚しつつも反対運動を進めていくしかないのかもしれません。
(2020.9.14)

これ以前のデータは「つれづれなる風・六の蔵」に保存してあります。