山をわたる風




        

新データ:2020.12.22


なつかしき山々

 コロナ禍で遠出がてきない昨今である。近くに住む友人を誘って奥多摩にドライブと相成った。
 山に向かうのだから、なるべく高いところまで行きたいぼくの我がままに付き合ってもらうことにした。「そのかわり、」というわけではないが、車内や現地では友人のおしゃべりに付き合う。知識も人付き合いも広い友人のおしゃべりは、始まると留まるところを知らない。助手席の相棒としては恰好の人物だ。

 山通いをしていたころには考えられないくらい遅い時間、9時過ぎに地元を出発。通いなれた青梅街道を西に進む。空は雲ひとつ無い快晴。遠くの山々が手に取るように見える。
 初めに立ち寄ったのが、奥多摩町のわさび屋。ここも山の帰りにはよく立ち寄り、わさびを土産にしたものだ。
 次に車を停めたのが小河内ダム。友人は小河内ダムの歴史に興味を持ったようだが、こちらは山を眺めることに専心。奥多摩湖の対岸に立ち上がっているのが御前山(写真@)。反対の北側には六つ石山に至る尾根が見えている。いっぽう、友人は山には全く興味がない様子。山に行ったことがなければそんなものだろう。

 ここからさらに多摩川を西に遡上する。峰谷橋、麦山橋を越え、小菅に向かう深山橋を渡るために左折。奥多摩周遊道路に入るため、すぐにまた左折して三藤橋を渡る。
 くねくねとうねりながらから高度を稼ぐ周遊道路。しばらく行くと見晴らしの良い駐車場に着く。
 車を降りて展望を楽しむ。風がないので気温が低くてもあまり寒さは感じない。足元は奥多摩湖、対岸にせり上がってい山塊には、奥多摩の氷川からから雲取山に至る石尾根が走っている。はるか西には飛竜山も見えている。肝心の雲取山は他の尾根(おそらく赤指尾根か七つ石尾根)に隠れて、その姿は見えない。正面の尖った特徴的な山頂は鷹巣山のものだ(写真A)
 展望を楽しんでいるのはぼくひとりで、友人は山よりも近くにある木々の風情に興味ある様子。それぞれ勝手に時を過ごす。

 周遊道路は尾根筋を何回か回り込むようにして進み、我々は次の駐車場に車を入れる。ここからは三頭山から東に延びる浅間尾根と笹尾根が二筋に分かれて走っているのが見られる(写真B)。左の端には街並みが遠くに見えている。あれは青梅か飯能方面か、定かではない。
 それはともかくとして、地上に近いところの白から空の上に行くにしたがって青みを増してくる色合いが素晴らしい。
 お気づきだろうか。このサイトの壁紙の色合いが、ちょうどそれを逆転したものだと発見し、ひとりで悦に入っている。

 周遊道路も最高点を過ぎ、あとは檜原村に向けて下だけ。短い「山旅」もすぐに終わって、コロナの日常に戻るばかりである。
(2020.12.22)

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バードウォッチング2020年冬

 年末バードウォッチングはこれで3回目だったろうか、毎年参加させてもらっている。
 年々歩くのがきつくなっている。日常的に歩くのがきついから歩行という行為から遠ざかる。すると筋肉が落ちる。ますます歩くのがしんどくなる、その繰り返しだ。では歩けばいいかというと、肝心の心肺機能に障害があるから苦痛でしかないのだ。
 ちょうど山に行き始めたころの状態と正反対の状況にある。歩けば歩くほど登ることに強くなる、それでさらに山に行く、ますます登山が楽しくなる、といった好循環の裏返しだ。
 それでも、ともかく今回は最後まで歩きとおすことができた。

 朝9時に西武多摩湖線・武蔵大和駅前に集合。こちらはバードウォッチング(BW)フィールドとなる狭山公園まで自転車で行き、歩いて集合地点に向かった。
 講師の大場氏・柴田氏・永石氏の3人の方は常連の先生だ。お鳥のことにはめっぽう詳しい三方はそれぞれ個性的で、特に絡み合うわけではないが、お一人お一人の解説、ご説明がうまく響きあっていて楽しい。
 BW参加者の方にも顔なじみが増えた。

 狭山公園に至る途中でさっそくツグミを見かける。今日は幸先がいい。
 都立狭山公園は、多摩湖下堰堤のもとに広がる雑木林と小川や池を含む広い区域だ。2003年から2009年まで耐震工事が行われ公園内もかなり整備が行われた。
 今年は紅葉のすすむのが遅いようで、まだ赤や黄色の葉がたくさん残っている。逆に言えばそれだけ野鳥を観察するには不利な条件ということになる。

 公園に入って数分も行ったあたりは、例年様々な野鳥が見られるスポットだ。シジュウカラ・メジロ・コゲラ・シロハラ・ジョウビタキなど。上空にはオオタカが飛んでいるのも見られたとか。僕がカメラに収めることができたのはコゲラ(写真@)のみ。
 さらに数分歩くと宅部池(通称「たっちゃん池」)がある。一同ここに陣取って水鳥の観察(写真A)。
 遠くにカワセミの姿も見られたが、残念ながらカメラに収めることはできなかった。近くの水辺にはマガモが多いが、キンクロハジロ(写真B)という潜水するカモもいた。キンクロハジロは目が黄色でなんだか怖い感じがする。
 堰堤下の公園ではハクセキレイが餌をついばんでいた。ハクセキレイは近くの駐車場でもよく見かける鳥でなじみがある。山では黄色いキセキレイを何度も見た記憶がある。

 ここから緩い勾配を登って堰堤上に出る。緩い勾配とはいえ、標高差30mほどあるのだろうか。ほとんどから身に近い状態だが、すぐに息が切れる。みんなから次々と追い越される。「大丈夫でか?」と声をかけていただくが、「ゆっくり行きますから」と返事しつつも、けして大丈夫ではない。
 山をやっていたころは、トレーニングと称してレンガを入れたリュックを担いでここを上り下りしたり、多摩湖の周りを歩いたりしたものだ。まったく隔世の感がある。
 息も絶え絶えで堰堤の上に出る。湖面は静かで山や雲を映し出している(写真C)。
 どこかで山の名前を声高に教えている声がする。鳥の名前は分からなくても、ここから見える奥多摩方面の山の頂ならば、すべて説明することができるのだが……。

 すでに堰堤では水鳥の観察が始まっている。
 遠くにアオサギがいるという。北の岸辺に1本足で、仙人のごとくすっと立ち、微動だにしない。一幅の水彩画を見るようだ。そのような水彩画を見たような記憶もうっすらとある。
 近くの水辺にはやはりカルガモの群れ。その中にホシハジロ(写真D)というカモがいると顔なじみの方が教えて下さった。目や頭が赤っぽい。キンクロハジロと比べると優しいイメージだ。
 ホシハジロもキンクロハジロと同じく潜水するカモだ。いっぽうカルガモは潜水はしないのだという。

 遠くの林にトビとミサゴがとまっているのが見えると声がかかる。講師の先生の望遠鏡を覗かせてもらうと、確かに枯れ木の先端に何やら鳥らしきものが見える。自分のカメラで探したが、とてもとらえきれない。デジタルを拡大すればそれらしきものはあるが、ほとんど「信仰」のレベルだ。代わりに上空を飛んでいるトビをとらえた(写真E)。
 そんなことをしているうち、BWの会はまとめの説明に入っていた。しかし、利尿剤を服用していてトイレが近い自分はもう限界に近づいていた。トイレに行って戻ってきたときにはすでに会は終わっているだろう。責任者にその旨を断って、一足お先に失礼することにした。

 帰る途中、空堀川という小川を渡る。宅部池で観察しているときに、参加者の方からカワセミが見られるスポットと聞いていたので寄ってみる。スマホを構えていた方がいたので聞いてみると、先ほどまでこのあたりをカワセミが行ったり来たりしていたとのこと。これはラッキーと思いしばらく待ったが、とんとやってくる気配はない。近くで魚を狙っているシロサギがいたので、それをカメラに収め(写真F)撤退と相成った。
(2020.12.6)
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マヤラン(摩耶蘭)

 近隣に住んでいるが、久しく会わなくなった「山とも」から声がかかった。狭山丘陵でマヤランが咲き始めているので見に行かないかというのである。
 山どころか、日常動作でも息が切れる状態では山など及びもつかない。いきおいその友人とも疎遠になってしまったが、こうしてたまには近くの野草見学・撮影に誘ってくれる。ありがたいことである。

 マヤランとは初めて聞く名前。ネットで調べてみるとブナやコナラの木の根元に生えるランの一種らしい。それらの樹木の根元に自生する特定の菌類から栄養分を得ている寄生植物だとのこと。
 同じサイトには、根拠がが無いことを「根も葉もない」というが、まさにマヤランは根も葉もないと書いてあった。根にあたる部分は地下茎で、そこから地上に突き出た茎の先に花が咲く。たしかに、実物を見ても葉っぱにあたるようなものは見当たらない(写真@)。花が終わった茎の先には、種のようなものがついていた。
 小さく細く弱々しい花だが、それなりに存在感がある。一度見たら忘れられない花となろう。

 10月に入った狭山丘陵には、マヤランの他にも秋の草花がいろいろとみられた。その中でも最も目についたのがキバナアキギリ(黄花秋桐)、黄色い課弁の先から細く伸びた髭のようなものが特徴的だ(写真A)。
 この花を初めて見たのは奥多摩の山のどこだったか。三条の湯から雲取山に至る登山道だったような気もするが、はっきりとした記憶はない。家に帰ってから植物図鑑で調べてその名を知った。山に通い始めたころの話である。

 また、秋の草花として有名なツリフネソウ(釣船草)も群生していた(写真B)。山に登るとき、または下山してから、林道の傍らによく見かけた花だ。
 その名の通り茎からぶら下がった船のような形状をしている。どうしてこんな形になったのだろうかと、誰でも一度ぐらいは考えるのではないだろうか。
 名が体を表すといった意味からは、ハナイカダ(花筏)というのもある。これなどは葉っぱの上に花が咲く。花は夏になると黒い実になる。別名ヨメノナミダともいうそうだ。
 ツリフネソウも、ハナイカダやヨメノナミダも、なかなかに風情がある呼び名だ。
 お断りしておくが、ハナイカダはここでは見かけたわけではない。

 季節外れの花も見かけた。白い小さな桜が枝先にチラチラと見られる。ジュウガツザクラ(十月桜)かと思ったが、帰ってから調べたら、どうやらフユザクラ(冬桜)のようだ(写真C)。冬桜といっても、秋ごろから先始めるらしい。この季節に花見とは、予期せぬ洒落た催しとなった。


 このほかにもミゾソバ(溝蕎麦)、ミズヒキ(水引)、ノアザミ(野薊)、シロヨメナ(白嫁菜)などなど、多様な花が咲き誇る秋の狭山丘陵、なかなか侮れないものがある。
(202010.3)

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試運転

 バイクのタイヤをオフロード用から普通のタイヤに代えた。バイクで山道に入ることはおそらくこの先ないだろうし、山道にを走っても山に登ることなど及びもつかない体調になっている。
 そもそも3年前の11月、交通事故で左脚を骨折した時には、もうバイクはやめようと思ったこともあったのだ。でもそれから2年以上たち、心不全がすすみ、移動の手段としてバイクはなはだ便利な乗り物だと感じるようになった。自転車ですら苦しくて登れない坂も快適に走れる。目的地の直前まで行くこともできる。駐車場の心配や、条件にもよるが渋滞に巻き込まれず走ることもできる。
 たたし、それらの便利さも走っているときに限る。バイクを取りまわしするときは自転車どころではないし、万が一倒した時は、ぼくの力ではもうどうしようもない。でもそれらの欠点を補って余りある利便性をバイクは持っている。他人には冗談めかして、「バイクはぼくの電動車いすだよ」と言っている。まことに便利な乗り物だ。
 そんな便利なバイクでも、メンテナンスは自分ではできないから、街のバイク屋さんに定期点検をお願いしている。今回の定期点検でタイヤもすり減ってきていたこともあり、バイク屋さんと相談して、「オフロードタイヤに近い通常のタイヤ」に代えてもらうことにした。どこかでまだ山に対する色気があるのだ。
 つい先日、タイヤ交換が終わったので、試運転も兼ねて近くの桜山展望台に出かけてみることにした。早い時間ではなかったので、幹線道路は車でうまっていた。外出自粛が叫ばれているが、気分転換だって時には必要だ。

 桜山展望台がある加治丘陵は狭山丘陵の北方。概念図で示すと、多摩川と入間川にはさまれた平野に、南に狭山丘陵、北に加治丘陵が走っているということになる。ただし、狭山丘陵が山地と離れ孤島のように浮かんでいるのと比べ、加治丘陵は奥武蔵の山塊と西の方でつながっている。
 両丘陵の間には畑が広がり、市街地が点在している。畑はほとんど茶畑。つまりここは狭山茶の産地なのである。
 桜山に登るには、車だと入間市農村環境改善センターの駐車場に停めることになる。バイクもそれにならって駐輪場に停める。短いとはいえ坂を登ることになるのだからと、一枚だけ脱いでザックに入れた。
 センターの裏手に桜山展望台への登山道がついている。尾根沿いの登山道のため急登。足元は棒状のコンクリで階段になっている。ここから山頂までは約30mほどの標高差だが、登る前から圧倒されている自分がいる。幸い近くには人がいない。自分のペースでゆっくりと、また休み休み登り始める。
 登り始めてすぐの所にヤマツツジが盛大に咲き乱れていた(写真@)。もちろんシャッターをきる。他に野草はないかと探したのだが、あいにく杉林の日陰道、小さなタチツボスミレが時たまみられるくらい。立ち止まって休む口実は見つからない。それでも苦しいから立ち止まらざるを得ない。
 まっすぐに頂上まで登る階段をジグザグにぬって急登を避け、何とか展望台が見られるところまでやってきた(写真A)。しかし、ここで終わりではない。展望台の階段、4階分にあたる約12〜15mを登らなくてはならない。1階ごとに立ち止まり、息を整えさらに上へ。最上階に着いた時はヘロヘロだった。

 展望台からは、北に飯能の市街地、その西に広がる奥武蔵の山が見渡せる。大持山・子持山・武甲山から丸山に至る山々だ(写真B)。奥多摩の最高峰雲取山・鷹巣山は木の間越しに見えるが、その周りの山はほとんど見えない。
 南から西にかけては大山を東端とする丹沢山塊、そして高尾・城山・陣馬から佐笹尾根に至る峰々を経て、大岳山を頭とする奥多摩の山々に続いている(写真C)。肉眼では白く雪をかぶった富士山もキャッチできたが、この写真では判然とはしない。
 南東方面には、狭山丘陵の手前に茶畑が広がり、狭山丘陵の向こうには(写真では、よほど目を凝らさないと見えないが、)西武ドームや所沢の高層ビルの頭も見えている(写真D)。左手に見える鮮やかな黄色は菜の花だろうか。
 一見このあたりは素朴な農村といったたたずまいだが、大きな工場や、商品や部品の集積倉庫、ショピングモールやパチンコ屋などの遊技場も点在している。近くを幹線道路や高速道路が走っているせいだろう。

 午前中から風はあったが、午後になって強まり、展望台に立っていると寒いくらいだった。一枚はいだ上着を引っ張り出して着たくなった。展望は早々にして下に降り、近くの日当たりのいいベンチで軽食をとることにした。
 こんなちっぽけな自然の中でも、緑に囲まれて過ごすのは気持ちがいい。新型コロナ騒ぎをひと時忘れて、おにぎりをパクついた。
(2020.4.25)


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雨にも負けず、コロナにも負けず
****カメラの先にあるものは?****

 新型コロナウイルスの1日当たりの感染が、東京でも100人台に上った日、例年のごとく先達のお誘いで相模原市緑区の石砂山の麓にやってきた。先達と、同行のもうひとかたは石砂山に登ったが、こちらはそれどころではない。登山口のあるこの場所に来るのさえ息切れがする始末。はじめから麓での時間つぶしは覚悟のうえだ。

 こうして年中行事のように同じ場所に来ていると、体力の衰えがよくわかる。はじめは山頂までのの道のりが物足りないほどだったが、数年後には登ることが苦痛に感じられ、さらに数年後には同行者に先に行ってもらうはめになり、また数年後には山頂まで到達できなくなり、今年は初めから登山自体をあきらめるjまでになった。
 こんなことは、程度の差こそあれ、山に頻繁に通っていたころから感じていた。それがここ数年ひどくなっているという自覚はある。それでもやって来るのは、登山とは別の楽しみもあるからだ。

 山頂を目指す人々にも、登山の他にその楽しみがあることは間違いない。しかし非登山グループに属する人々は、このことだけが唯一の目的でここにきている。カメラの放列の先にあるそれは、ギフチョウ(岐阜蝶)という蝶だ。ギフチョウの幼虫が食草とするカンアオイ(寒葵)という植物がこのあたりにはたくさんあり、それで集まってくるのだそうだ。
 といっても花や植物とは違い、「敵」は動き回っていて、なかなか一つところにはじっと止まっていることはない。それに蝶が集まるとは言っても、いつもいるわけではない。もともと数が少ない(だからこそ貴重であり、人々の関心を引くわけだが、)のだから、どうしても待機する時間の方が多くなる。

 写真@でご覧になればわかるとおり、皆さん長大なレンズを付けたカメラを構えていらっしゃる。そうしないしと、近寄った蝶しか撮影できないからだが、さらに電動で連写できる装置を装備していて、まるで機関銃のように撃ちまくっている。一瞬のシャッターチャンスを逃さないためだ。
 こちらはといえば、せいぜい50倍率の望遠レンズが着いたコンパクトデジタルカメラ。たまたま近くに来てくれた蝶を撮るか、小さな画像を我慢して、ブレを覚悟で写すしかない。それでも運が良ければカメラに収められないことはない。一番初めに写したのがAの写真。トリミングしてこの程度の画像だから、元がどれだけ小さいかわかるというもの。
 蝶が来そうな花の前でカメラを構えててスタンバイ、やってきた蝶を写し取るのがいちばん良いのだが、カメラを構えていれば現れず、諦めて軽食を取り出し、おなかの虫をなだめているときに限ってやって来るから皮肉なものだ。何度かのチャレンジの後、たまたま撮れたのがBの写真。もちろんトリミングしてある。

 こうして山麓で数時間余り蝶をねらって撮影したのは初めてだった。こういう作業は、自分に向いているとは決して言えない(反対に、体力的にはピッタリなのだが……)。むしろ、冒頭に載せた人の動きの方が興味深かった。
 不要不急の外出を自粛するよう都が呼び掛けているにもかかわらず、人が出張ってくる。最盛時には写真に写っているよりも、もっとたくさんの人たちがいた。たくましいと言えばたくましい、愚かと言えば愚かなのかもしれない。
 そもそも「不要不急」の位置づけも人により様々。駐車場が満車に近かった状態を見れば、むしろ例年になく人出は多かった。ギフチョウが好きな人にとっては、この日を逃せばまたとないチャンスだったのかもしれない。そもそも私の先達にしてから、そのような傾向の強いご仁だ。そのことに誰が文句を言えよう。
(2020.4.4)

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これ以前のデータは「山をわたる風・二の蔵」に保存してあります。